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与えても枯れない女になる

今日も、思い当たることがありすぎて
「まさにー!」とうなずきながらメモった
師匠の言葉について。

「与えるばかりでは枯れてしまう」。

※ただいま、カウンセラーの根本裕幸さんのお弟子10期として
勉強中です。


| なぜ与えるばかりでは枯れてしまうのか |

与えることで、よろこんでもらえるとうれしいけれど、
与えることが「当たり前」になっていくと
だんだんと自分のエネルギーが枯渇して、
苦しくなっていきますよね。

与えるばかりで、与えすぎてしまって枯れがちな人の傾向は……

○受け取ることがとってもニガテ。
評価されても「わたしなんてまだまだ……」
褒められても「とんでもないです!」
シェアしたたこ焼きの最後の一個をすすめられても
「いいよいいよ、食べてー」
と、絶対に受け取らない。
プレゼントされたり、やさしくされたら
必ずお返ししなければ気がすまない。

○気づけばいつも与え役に。
「やってくれる人」としてまわりに認知されると
頼られることも多くなるし、
やるのが当たり前になってきて
いつの間にか感謝されなくなっていく……。

○何でも自分でやらねば!とふんばってしまう。
人を助けるのは得意だけど、自分が困った時には
人の手をわずらわせるのが申し訳なくて
または、自分の弱みを見せたくなくて
誰かに助けを求められない、頼れない、
ひとりでがんばってしまう。

・ ・ ・

かくいうわたしも、
与えてばかりになってしまったことが
燃え尽き症候群になった
大きな要因なのかなと感じています。

罪悪感が強めなうえ
「人にやさしく、自分には厳しく」
という教えを刷り込まれた昭和育ちで
いつも誰かのことや仕事のことを優先して、
自分のことは後回しに。

(今から思うと、人さまのことで忙しくすることで
自分の問題と向き合わなくてすんだから、
という深い部分の理由もあったような気も……)

だけど、「お役に立てるのがうれしい」
「自分が差し出したものをよろこんでもらえるのがうれしい」
と、与えることがよろこびだったのは本心なのに、
なんで途中からエネルギーが枯渇してしまったのか?

それはどうやら、本来はよろこびがともなうはずの
「与える」ということが、いつの間にか
相手の反応を求める「期待」とか
嫌われたくないから与える「犠牲」
に変わってしまっていたからのようです。

期待通りの反応がもらえなかったり、
本当はしたくないことを犠牲でするから
こころのエネルギーがどんどん干上がってしまったのですね。


| 枯らさずに与えるには |

与えても、自分のエネルギーが枯渇しないための
ヒケツがあります。

それはズバリ、
「まずは自分を満たす!!!」
ということ。

自分の中がたぷたぷに満たされている状態を
イメージしてみてください。
そして、自分からあふれた分から
人のために差し出していきます。

自分で自分をあふれんばかりに満たしていれば、
人の反応が入ってくる余地がないから
あまり気にならなくなりそうですね。

重要なポイントは、
「自分を満たすのは自分自身で」というところ。

自分を満たすというのは、
いろいろ受け取り方があると思うのですが、
「いつも自分を一番に大切にする」
「自分を親友のように扱う」
「自分にうそをつかない」「決して裏切らない」
「自分のきらいな部分も受け入れる」
というようなことから生まれる
自分への信頼、安心感のようなものなのだと
わたしは感じています。



もうひとつ、どういう気持ちから
「やってあげたい」と思っているのかを
自分のこころに問いかけることも大切かなと思います。

自分のよろこびのために、やってあげたいのか?
相手からよく思われたいからやってあげるのか?
やってあげたいと思う裏にがまんはないのか?
やってあげることが相手へのコントロールになっていないか?

「与える」ということが自分軸になっているか
意識するといいのかもしれませんね。



最終的には、自立系の人には
むつかしいことかもしれないけれど、
時には誰かに頼ってみるとか、
最後の一個のたこ焼きをもらうとか、
受け取る練習もしていくといいそうですよ。

・ ・ ・

たくさん書きましたけれど、
「与える」こと自体は、
愛することとイコールとなる尊い行為。

「相手によろこんでもらえることが
自分のよろこびになる」という
純粋なエネルギー循環を生み出せるように
自分を満たすことからはじめてみませんか?


今日も読んでいただきありがとうございました。

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