もう今後は自立した強いお姫様しか描かれてはいけないのか

こんばんわん三途ながるるです〜

唐突に申し上げますが私は最近思うのです。

最近のディズニー映画とかのお姫様たちが皆一貫してめっちゃ強くて自立してて男なんて要らないっソレが正義。みたいな風潮なぁに?

いやぁ分かるよ?もちろんシンデレラ然り白雪姫然り、泣いてたり勝手に仮死状態みたいになってるところに当然の様に魔法使いや王子様が現れて助けてくれたり恋して見初められてハッピーエンドなんて都合良すぎるし、しかもみなさま美男美女ときた。

そんな都合よくいくわけねーよ!!とか美女だから王子に見初められたんだ!とか、世間がこうなる前よりもよっぽど昔にこち亀の両さんが言ってたし、現実的にシチュエーションがありえん、なんで毎回男に助けてもらうんだ!!とかさ。分かる。分かるんだけどもさ

こちとら夢みたいなファンファンファンタジーなご都合主義が見たいんだわ。そもそも昔から御伽噺と現実にギャップなんてあっただろうに。

もちろん、世間が男女平等、女性進出を支持する動きやルッキズムは差別だから無くそうというSDGs等の様々な新しい思想の広がりがある現代ですし、数々のプリンセスにまつわる御伽噺の原作ができた頃やそれを近代になってアニメーションや映画として映像作品にした頃から数百年から数十年経っていたりしてリアルな現代社会とは大いにギャップがあるし思想としてソレを愛でるのはどうよっていうシーンや言動は多々あるかもしれない。

作り手にとってはそういう部分を、取引をする企業間やついでに言えば商売相手の大衆に指摘されたり軽蔑されたら大きな損失に繋がるし面倒だし、更には賞レースで足切りされる材料になるとすればそりゃあ世論に合わせて作品を作ったり過去作のリメイク時に大きな変更を加えて描くことは仕方ないとは思うんだけどさ。

それでも私はか弱く非力で1人じゃなぁ〜んにもできず王子様に助けられたり見初められる美しいお姫様もたまには見たいんだよう!!!


だって私シンプルに映像作品としてブサイクなお姫様なんて別に見たくないよ。良いじゃない創作物なんだから美しくて何もできなかったり男頼って非力な女でも。基本的にあまりプリンセスものの映像作品に自己投影とかしないから私は全然ステレオタイプの姫を見てもイライラしないし、姫がブスだったら見向きもしないくせに!!とか怒ったりもしない。むしろディズニーとかに関しては1番好きなのはアリエルだが2位3位は白雪姫とオーロラ姫のステレオ姫コンビである。

私みたいな人も多分いると思うんだよね〜更に言ってしまえば、私は若干自主性が強い姫が作品によっては苦手だったりする。例えばディズニー映画の『ラプンツェル』。主人公がユージーンを疑ってかかり、フライパンでぶん殴るシーンがとても苦手なのだ。まず男とか女とか不審人物とかの前に、ダメじゃない?人を殴っては。多分ディズニー的には、〝男性にも油断しない。自分の身は自分で守れる女〟的な感じの表現なのではと個人的に思っているんだけども、でもアレを良しとする作品に、なんか引っ掛かりを感じてしまう。勝手に曲解しすぎかもしれないが、現代の理想の女性像を強く演出し過ぎて表現が非常に過激になってしまっているのではないかと感じるのだ。(ガサツなラプンツェルの性格や塔の外に期待も恐怖も強く持っている彼女の心情を強く出した結果かもしれないが)

あとは最近見た任天堂のスーパーマリオの映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』のピーチ姫が戦っているのにも違和感を覚えた。こちらはラプンツェルとは違い、ピーチが戦闘したりアクティブに活躍するシーンも含めて作品を楽しめたのだが、ゲームボーイアドバンス時代のスーパーマリオブラザーズの記憶もあってか、ドレス姿でおとなしく連れ去られか弱く怯えるピーチ姫も見たかったのだ。まぁピーチ姫なんて元々マリオカートやマリオパーティ、更にはスマブラでガチガチに戦闘をしているじゃん!!って言われればそれまでなんだけどさ。最近の新しいソフトでも主体で戦ってるっぽいし。でもなんか、鎧まで着込んで男前に戦うのは、なんだかちょっと違和感なのだ。可愛かったけどね。

ただ私が言いたいのは、なんかこの、


非力で男に頼ってる女は今を生きる現代の女じゃ許されない。これからの女は強く自立しなきゃ!!みたいな風潮が息苦しい


だって別に今も昔も精神的に強く自立した女はいたし現代にだって逆に非力で男に頼りきりの女がいたってよくない?逆に男が非力で女に頼りきりでも良いじゃん。男だろうが女だろうがそれ以外だろうが、相手が了承するなら誰かに甘えたって良いんだよ。昔はこの性格でも良かったけど今はダメとかそれこそなんでなの?って思う。
更には非力なステレオタイプの姫が子供の教育に悪いからとか言われた日にはもう私はそれこそナンセンスだと思う。
だってディズニーの白雪姫やオーロラ姫の所作や表情は現代のラプンツェルやアリエルにはない優雅な上品さがあるのだ。しなやかな立ち振る舞いの美しさがあるのだ。自立している人間には強さがあり同時に崩れゆく時の激しさもあると私は思う。
人を題材にする作品に絶対的な是も否も善悪も私はないと思っている。難しいことだが、数多くの何事にも触れ、色んなものの強さや弱さ、美しさも醜さも感じ、受け入れていけることが私は排除することよりも素敵なことだと思う。
理想が現実と合致することはそうそうないし、必ずしも合致する必要なんてない。

ましてや御伽噺と現実なんて尚更離れてたって良い。何にでもリアリティとか世論の上辺のマジョリティを紐づけようとするのは、それこそアリスのティーパーティくらいくだらないというものだ。

教訓が無いからこそ長く人の心を掴み続ける物語もある。私だって今でも花や虫と会話をしてみたいしトランプの兵隊がいたら激しくシャッフルしてやりたいものだ。

か弱く可憐なお姫様にも、強くて激しいお姫様にも、理不尽に刺激的な出逢いと恐怖に振り回されるアリスにも、皆んなに幸あれ!