禅の道(28)日々是好日
「日日是好日」―今日という日を大切に生きる
禅の教えにおいて、「日日是好日(にちにちこれこうにち)」という言葉は、深い意味を持っています。この言葉は、禅語としてよく知られていますが、元は中国の禅宗の古典『碧巌録(へきがんろく)』第六則に登場します。
「日日是好日」の本質的な意味は、「どんな日もそのままで良い」ということです。良い天気の日も雨の日も、嬉しい日も悲しい日も、どんな状況でも、その日が唯一無二のかけがえのない日であるという境地を示しています。
碧巌録第六則
原文
現代日本語訳
雲門禅師が弟子たちに向かって語った。
「十五日以前のことについては問わない。では、十五日以後のことについて、一言で答えよ。」
(弟子たちが何も答えないうちに、雲門禅師は自ら答えて言った。)
「日日是好日(にちにちこれこうにち)」
背景と意味
雲門禅師は、この場面で弟子たちに禅問答を出しています。「十五日以前のこと」とは過去、「十五日以後のこと」とは未来を象徴しています。雲門禅師は、「過去や未来について考えることをやめて、今この瞬間に気づけ」という教えを説こうとしているのです。
弟子たちが戸惑って答えられない様子を見て、雲門禅師は自ら「日日是好日」と答えました。この言葉で、過去にも未来にも囚われず、現在の瞬間をそのまま受け入れる心境が禅の本質であることを示したのです。
解説
「日日是好日」の意味は、「どんな日もそのままで良い日である」という悟りの境地を表しています。この教えは、以下のように理解できます。
過去も未来も関係ない
「十五日以前」は過去を指し、「十五日以後」は未来を指します。過去にとらわれたり、未来を心配したりすることは、禅の教えでは無駄だとされています。現在をそのまま受け入れる
雲門が「日日是好日」と答えたのは、「今ここ」に目を向ける重要性を説くためです。現在という瞬間を肯定し、あるがままに受け入れる心が禅の本質です。好日は「良い日」だけではない
「好日」は単に楽しい日や嬉しい日だけを指しているわけではありません。辛い日や苦しい日も含めて、その日そのものがかけがえのない「好日」だということを教えています。
現代に生きる私たちへの教え
この禅の教えは、現代社会にも深く通じるものがあります。忙しい日々の中で、私たちは過去を悔やみ、未来を心配することに時間を費やしがちです。しかし、「日日是好日」の教えを胸に刻むことで、今という瞬間を大切に生きることができます。
例えば、
雨の日も、「雨が降るからこそ味わえる静けさ」を楽しむ。
忙しい日も、「目の前の仕事に集中することの充実感」を味わう。
このように、どんな日でもその日をそのまま肯定することで、心の平穏と満足感が得られるのです。
雲門禅師の「日日是好日」は、禅の核心を表す言葉です。過去や未来に囚われず、今この瞬間をあるがままに受け入れる。これが、私たちが日々の生活を豊かにするための大切なヒントです。
今日という日の大切さ
私たちの日常生活では、過去を悔いたり未来を心配したりすることが多々あります。しかし、「日日是好日」は、今日という一日が二度と来ない特別な日であることを教えてくれます。同じ「今日」は一度もありません。だからこそ、今この瞬間を大切に生きることが重要なのです。
禅の生活における実践
この教えは、禅の生活のあらゆる場面で活かされています。
坐禅
今、息を吸い、吐く瞬間に意識を集中し、過去や未来に囚われない。日常作務
庭を掃く、食事を作る、洗い物をする、その一つひとつに集中する。人との関わり
一期一会の精神で、その時々の出会いや対話を大切にする。
まとめ
「日日是好日」の教えを実践することは、人生を豊かにする鍵です。どんな日であっても、その日を精一杯生きることで、心に平穏が訪れます。雨が降れば雨を楽しみ、晴れの日にはその光を満喫する。そんな生き方が「禅の道」における幸せではないでしょうか。
きのうは大分県にまいりました。全国的に冷え込みましたが、晴れのよいお天気でした。京都から大分までの日帰り出張でしたが、充実した日をすごしました。機内で、この記事の素案を練りました。離陸と着陸をくりかえす空港にて、同じ日々は決して無いことを痛感したからです。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵