禅の道(97)忘れていいから
忘れることの意義――「今」を生きるために
最近、物忘れが多くなってきました。人の名前がとっさに出てこなかったり、スマホなどの持ち物を置き忘れてしまったり……。友人に笑われるほど、ちょっとした忘れが増えたように感じます。こうした「物忘れ」は、誰にでもあることとはいえ、何となく心配になりますよね。しかし、よく考えてみると「忘れる」ということそのものが、私たちの脳の大切な働きのひとつではないでしょうか。
よく耳にする話として、人間の記憶容量はせいぜい10GB程度ともいわれています。真偽はともかく、私たちが無尽蔵に情報を覚え続けられるわけではないことは確かです。ましてや、年齢を重ねれば物覚えはどうしても衰えていきます。だからこそ、忘れたくないことは紙にメモを取り、日常的に確認するなどの工夫が必要になります。反対に、過去の出来事を必要以上に覚え続けて、今の自分をしばってしまうよりも、うまく「忘れる」ことで前に進むことができるのかもしれません。
禅の教えにも、忘れることの大切さが説かれています。道元禅師は『正法眼蔵』の中で、次のようにお示しになりました。
この言葉は「仏道を学ぶということは、自分自身を学ぶこと。その自分自身を学ぶということは、自己を忘れることである」という意味に解釈できます。ここでいう“自己を忘れる”とは、何も自分の存在そのものを消し去るわけではありません。自分の都合ばかりにとらわれず、“今できる精一杯のことを行う”姿勢を説いているのです。あれこれ心配や執着が募ると、かえって行動がとれなくなってしまいます。そこで、必要のない思考や過去の執着を手放して、ただひたすらに今この瞬間を生きる――それこそが禅の姿勢といえるでしょう。
「忘れる」という行為は一見、不安や後ろめたさを覚えるものですが、必要以上に過去にしがみつくことを手放して、今やるべきことに集中するためには不可欠です。もし物忘れが増えたと感じるのであれば、メモを活用して上手に補いながら、余計な情報や煩わしい思考はその都度リセットしてしまうのも一つの方法です。そうすることで、身軽に前へ進むことができるかもしれません。
過去にとらわれず、今ここにある「いのち」を大切に生きる――。忘れることを恐れず、必要なときに必要な情報を整理しながら、一歩ずつ歩んでいきたいですね。自分の心配よりも、目の前の人や状況に尽力できるように。道元禅師の教えは、そのような私たちの日々の歩みにそっと寄り添い、背中を押してくれるのではないでしょうか。
忘れることも忘れたい{笑
ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道