禅の道(十)袈裟をかける喜び
道元禅師は「正法眼蔵」の袈裟功徳の中で以下のように述べられています。
この「袈裟功徳の巻」において、道元禅師が語っているのは、禅師がが中国に行ったときの深い感動体験です。以下に現代語訳と解説を示します。
現代語訳
私(道元禅師)が、宋(中国)に渡り修行していたころのことです。あるとき、横に長い坐禅の単で坐禅修行をしていたときに、隣にいる僧侶が、開静という坐禅終了の合図があったとき、袈裟(けさ)を頭の上に掲げて、合掌して恭しく礼拝し、一つの偈(仏教の詩句)を心の中で唱えている姿を見ました。その偈にはこう書かれていました。
「偉大なる解脱の服よ、形なき福徳の衣よ、 如来(仏)の教えに従い奉ることで、 広くあらゆる衆生を救おう」
この光景を見た私は、それまで見たことがない深い思いが込み上げ、喜びが体を満たし、感動の涙がこぼれ、衣の袖を濡らしました。
この行持の意味は、昔、阿含経を読んだときに袈裟を頭にいただく文がありましたが、その礼儀については理解していませんでした。けれど、今こうして目の前でその光景を見たことで、歓喜と感謝が湧き、心の中でこう思いました。
「ああ、私は哀れむべき存在だった。日本にいたころ、教えを授けてくれる師もおらず、導いてくれる友もいなかった。どれほどの無駄な月日を過ごしてきたのか、そのことを悔しく思わないはずがないではないか」
今こうして、見聞きしているのは、私の過去世からの善行がもたらしたものであろう。もし日本の田舎にいたままであれば、仏の衣(袈裟)を身にまとう僧侶と一緒に修行することはできなかっただろう。この喜びと悲しみは、言葉に尽くせないほどだ。涙が幾筋も流れるのを感じる。
解説
道元禅師は、中国に渡った修行生活の中で、自分と同じく修行中の僧侶が袈裟を掲げて礼拝する姿に深い感銘を受けたと述べています。袈裟は、ただの衣服ではなく「解脱の衣」、すなわち、仏教の教えの象徴としての特別な服であるということが、ここで明らかにされています。また、袈裟を着て修行することが、自らの解脱(悟り)だけでなく、広く他者(諸衆生)を救うためのものだという意識が、僧侶の礼拝の中に表れているのです。
道元禅師は、これを目の当たりにして、袈裟が持つ深い意味と、修行の尊さを実感しました。この感動を通じて、彼はかつて日本で修行の仲間や師にあまり恵まれず(共に中国へ渡った兄弟子の他に)、無駄な時間を過ごしてきたことを悔やむ一方で、今こうして中国で本物の仏教の教えに触れていることに対する喜びも同時に味わっているのです。
道元禅師がここで伝えたかったのは、ただの服装の話ではなく、仏の教えとそれを着ることの深い意味と、真摯な信仰心の在り方でしょう。袈裟を身にまとうことは、自己だけでなく他者の解放(救済)をも目指す仏教の「利他」の精神そのものです。
私たち曹洞宗の僧侶は、暁天坐禅とよばれる朝の坐禅を終えてから「お袈裟」をかけるのですが、搭ける前にお袈裟を頭上に載せて、合掌しながら「搭袈裟偈」(たっけさのげ)を皆で一斉に唱えます。
大哉解脱服(だいさいげだっぷく)
無相福田衣(むそうふくでんえ)
披奉如来教(ひぶにょらいきょう)
広度諸衆生(こうどしょしゅじょう)
それから足袋をはき、本堂へ朝課(朝のお勤め)に向かいます。
本来、僧堂では終始無言ですから「黙誦」すべきだと思います。
それはともかく、道元禅師が釈尊最古の「阿含経」などの経典を諳んじておられたことは有名な話で、今で申しましたら超天才だったわけです。正法眼蔵自体が天才でなければ書けない文章で、膨大な量であるとともに、その内容はまさしく「奥義」そのもので私たち凡夫の遠く及ばないところです。
ですが、凡夫は凡夫なりに、今日のこの話を聴いて、深く感じたことがございます。それは、お袈裟をかけたときに、いつも思うことです。
日本では、お袈裟の下に「直綴」とよばれる衣を着ています。中国の袖の長い衣です。さらにその下には日本の着物を着ています。
これはインドから中国そして日本に仏教が伝えられた順番です。
お釈迦様の衣を私たち僧侶が著することは、何ものにも代えがたく、有り難い極みであり、深い喜びであります。
ご覧頂き有難うございます。
念水庵