見出し画像

禅の道(12)ひとすじに生きる

「ひとすじに生きる」というテーマは、現代社会において多くの人々が求める生き方の指針となるものです。この記事では、シンプルな生活を通じて自分自身の中心軸を見つけ、他者との関わりを深める方法について、私自身の経験を交えてお伝えします。

会社員としての生活と週末の田舎暮らし

平日は会社員として都市や地方で働き、週末には田舎に戻り坐禅を中心としたシンプルな生活を送っています。この二重生活は、一見対照的に思えますが、互いに補完し合い、心のバランスを保つ助けとなっています。

自然との積極的な関わり

田舎での生活では、自然との触れ合いが日常の一部です。朝の散歩で感じる新鮮な空気、庵内外での作務、季節の移ろいを肌で感じることで、心がリフレッシュされ、日々の喧騒から解放されます。

訪れる人々とのコミュニケーション

田舎の庵(家)には、時折友人や知人が訪れます。彼らとの対話を通じて、互いの悩みや喜びを共有し、心のつながりを深めています。このようなコミュニケーションは、自分自身を見つめ直す良い機会となり、他者の視点から新たな気づきを得ることができます。

「自分らしさ」から「自分にしかできない」への発展

多くの人が「自分らしく生きる」ことを目指していますが、それをさらに発展させ、「自分にしかできない」何かを見つけることが重要ではないでしょうか。私の場合、それは「禅の道」を歩むことでした。坐禅を通じて心を調え、日常生活に禅の教えを取り入れることで、自分自身の中心軸を確立し、他者との関わりにも深みが増したように感じています。

禅の教えとシンプルライフ

禅の教えは、物事をシンプルに捉え、無駄を省くことを重視します。日常生活においても、必要最低限のもので暮らし、心の中の雑念を取り除くことで、本当に大切なものが見えてまいります。このような生活を続けることで、心の平穏を保ち、自分自身の軸をしっかりと持つことができます。

まとめ

「ひとすじに生きる」とは、自分自身の中心軸を持ち、シンプルな生活を通じて心の平穏を保つことだと思います。自然との関わりや他者とのコミュニケーションを大切にし、自分にしかできない何かを見つけることで、充実した人生を送ることができるでしょう。


昨日は、終日雨の中を友人が来てくれて、庵の内外の整備や今月15日に執り行う参禅堂の「開単かいたん坐禅会」についての準備を行いました。

相談しながら、一緒に食事しながら、とても貴重で有意義な一日を過ごせました。とりわけ東司の横にお袈裟や衣と絡子をかける手摺状の棒とフックの取り付けには、彼から深い知恵を学び、ほとほと感心させられました。

この念水庵は、彼の存在なくして語れません。土地購入から現在まで、私がほとんど田舎を顧みなかった時期さえ、中心的な役割をはたしてくれています。彼は毎週親寺の坐禅会に出席され、寺の行事や掃除などの作務まで積極的に関わり、私を励まし続け、まさに「真の友」と呼べる存在です。

ともに歩み、ともに学び、ともに楽しむ。

念水庵は彼との二人三脚でつくった小さな小さな「禅の道場」ですが、夢は大きく大きく膨らんでいます。ともに70歳の二人が余生に何を感じ、何を目指しているかを少しでも感じて頂ければ幸いです。どうかご意見ご感想をお寄せください。何より一度お越しいただきたいと心より願っております。

ご覧いただき有難うございます。
念水庵

衣掛けは、普段は引っ込めておけるという優れ技です(真友のアイデア)。
絡子は下のフックに掛ける…は新弟子時代に師匠から教わりました。
うちの坐禅会では、威儀いいぎ大絡だいらくといって直綴に絡子です。
「衣掛け」には直綴(じきとつ)と手巾(しゅきん)を掛けます。
つまり東司(お手洗い)や浴司には袈裟衣を脱いで入るわけです。

「絡子&衣掛け」の手作り

楽しみで続く道。

いいなと思ったら応援しよう!