禅の道(93)インタービーイング
はじめに
今日のテーマは、「インタービーイング(Interbeing)」。ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハン師が説く仏教の教えの核心のひとつであり、私たちが「自分」という存在を取り巻くあらゆるものとのつながりを深く洞察するための重要なキーワードです。
「仏教を学問的に知識として学ぶのであれば大学で学べるかもしれない。でも知識だけでは安穏、心の平和を得ることはできない」――この言葉が示すように、深い洞察と実践(練修)を通じて初めて、私たちは本当の意味で「智慧と慈悲」を具体的な行動として体現できるようになります。
この記事では、インタービーイングが示す“すべての存在の相互関係性”について、わかりやすく丁寧に解説し、あわせてティク・ナット・ハン師の提唱する「練修」がどのようにその洞察を深めていくかをお伝えします。
インタービーイングとは何か?
「相互存在」の視点
インタービーイングとは、私たち一人ひとりがまったく独立して存在しているのではなく、互いに深く結びつき合って存在している――いわゆる「相互存在」の視点を表す言葉です。たとえば、私たちが飲む一杯のお茶を考えてみましょう。そのお茶には、雨雲や太陽の光、土壌、そしてお茶を摘んだ人、運んだ人、販売した人など、あらゆるつながりが詰まっています。これらの要素が一つでも欠ければ、その一杯のお茶は存在できません。
ティク・ナット・ハン師は、この一見当たり前のように見える事実を、「雲を味わう」という詩的な表現で伝えています。お茶のなかに雲の存在を見る、という発想を通して、あらゆるものが相互に影響し合いながら支え合っていることを強調しているのです。
固有の自我が絶対的にあるわけではない
仏教の根本的な教えとして「無我」があります。「自分」と呼んでいるものが固定的で変わらぬ実体として存在しているわけではない、という考え方です。インタービーイングは、さらにそこから一歩進んで、「私」という存在も「あなた」という存在も、そして森羅万象すべてが互いに条件となって成り立つことを鮮明に示します。
「私」と呼ばれる存在は、両親や祖先、社会環境、国、文化、自然など、数多くの要因が条件となって生まれています。そうした広大なネットワークがあって初めて、いまここに息づく「私」があるという視点に気づくと、見える世界ががらりと変わってくるのです。
ティク・ナット・ハン師の「練修」とは?
知識から洞察へ
ティク・ナット・ハン師が強調する「練修(れんしゅう)」とは、ただ仏教を学問的に理解するだけでなく、“生きる行為そのもの”を通じて実践し、体得していくプロセスのことを意味します。仏教で言う「修行」や「実践」に近い言葉ですが、日常生活のあらゆる行為――食べる、歩く、呼吸する、話す――すべてを丁寧に味わい、そこに深い気づきを見出すことに特徴があります。
たとえば、歩くときには「歩くこと」を意識の中心に置き、ただ足の裏で大地を感じながら一歩一歩踏みしめる。また、食事の際は「食べる」ことに集中し、それがどんな道を経て今ここに届いたのかを思い起こす。そのようにして目の前の営みに深く没入することで、頭の中だけで知識として理解していたことが、身体と心を通じて真の洞察へと変化していきます。
慈悲と智慧の実践
インタービーイングの理解が深まると、私たちの行動は自然に「慈悲(コンパッション)」と「智慧(ワイズドーム)」を伴うようになります。
慈悲: 他者や自然を「自分」と切り離された存在ではなく、同じネットワークの一員だと実感すれば、相手を思いやり、互いに助け合い、痛みを和らげようとする意識が自然と育ちます。
智慧: すべてが相互に依存していることを深く理解するほど、局所的な解決策だけではなく、全体を見渡す洞察力が高まります。
「知識」として「優しくしよう」「自然を大切にしよう」という発想を持つことは簡単ですが、それだけでは忙しさや感情の波に流されてしまいがちです。ところが、深い洞察(気づき)のもとに行われる行動は、いわば内側から自然に湧き上がるエネルギーに支えられているため、黙っていても持続的に続けられるのです。
インタービーイングを生活に生かす
インタービーイングを知識として理解するだけでなく、日常生活で実践し、深い洞察として育んでいくにはどうすればよいのでしょうか。以下のような練修の方法がティク・ナット・ハン師の教えでよく紹介されます。
マインドフルな呼吸
「ただ呼吸をしている」それだけのことに意識を集中します。息を吸うときには「吸っている」、吐くときには「吐いている」とシンプルに観察。考え事や感情が生じても、また呼吸に意識を戻します。これによって“今ここ”の自分に深く根を下ろし、落ち着きを培います。歩く瞑想(ウォーキングメディテーション)
歩くときに、足の裏が地面を踏みしめる感覚を細やかに味わいます。一歩ごとに息を合わせるなど、自分に合ったリズムで歩いてみましょう。「今、自分は確かに生きている」という感覚とともに歩くことで、日常の動作が瞑想の時間へと変わります。食べる瞑想(イーティングメディテーション)
食材が自分に届くまでの道のりを思い浮かべながら、一口一口を味わい深くいただきます。生産者や自然の恵み、配送に携わった人々、そして食事を作ってくれた人(自分自身も含め)へ感謝の気持ちをはぐくむことで、インタービーイングを身近に実感することができます。優しい言葉・傾聴の練習
コミュニケーションの場でもインタービーイングは大きな力を発揮します。相手に対して常に「今この言葉が相手に与える影響」「自分自身も含めた全体への影響」を意識すること。そしてじっくりと相手の話を聞く。言葉や聴く態度にも相互作用があることを実感します。
おわりに
インタービーイング(相互存在)の洞察は、「自分」と「世界」を切り離して見ていた視野を広げ、自分の内面から社会や自然環境まで、すべてを繋がりのうちに見る目を養います。これこそが仏教の真髄とも言えますし、ティク・ナット・ハン師が提唱した「練修」の目指す先でもあります。
深い洞察に支えられたとき、慈悲と智慧に基づく行動は、理想や義務感だけのものではなく、心から喜びをもって行われる自然な行為へと変わります。知識として「こうあるべきだ」と理屈で考えるのではなく、身体と心で「これは自分のことでもあるのだ」と実感するとき、私たちは何よりもまず自分自身が変わり、その変化がまた周囲との関係性へと波及しはじめるのです。
“すべては関係し合っている”というシンプルな真理を、日々の練修を通して身体に刻み込む。その積み重ねが私たちの生活を豊かにし、ひいては社会や世界そのものにも穏やかな変化をもたらすでしょう。インタービーイングという洞察の視点と日々の練修が、あなたの日常を安穏へと導く一助となれば幸いです。
「すばらしい生成」
今は亡きハン師が好きだった言葉のひとつです。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道