見出し画像

縄文時代9:『老子』と縄文時代

縄文時代の政治や民の生活と『老子』との関連性を考えると、直接的な影響や歴史的つながりはありませんが、両者の価値観や生活スタイルに共通する点が多く見られます。今回は「老子と縄文」の関係性に焦点を当てながら考察することにしました。

1. 自然との共生

縄文時代の人々は、狩猟採集や漁業、自然に依存した生活を営んでいました。彼らは自然を支配するのではなく、自然と調和しながら暮らしていたと考えられます。これは『老子』の教えである「無為自然」(自然に逆らわず、無理な力を加えずに生きる)と非常に共鳴します。老子は自然の道(タオ)に従い、調和を重視した生き方を説いており、この考え方は縄文時代の人々の自然との関わり方に通じるものです。

2. 支配的な政治の不在

縄文時代は、中央集権的な支配構造が発達していなかったため、ピラミッド型の強力な権力者が存在していなかったとされています。『老子』も、無為の政治(あまり干渉しない統治)を理想とし、過剰な権力や支配を避けることを説いています。この点で、縄文時代の比較的自由で平等な社会と『老子』の理想は共通している部分があります。

3. シンプルな生活

縄文時代の生活は、物質的な豊かさよりも、自然の中で必要なものを自給自足で得るシンプルな生活スタイルが主流でした。『老子』も、過度な欲望を捨て、簡素で質素な生活を送ることを推奨しています。物質的な欲望を抑えた生活は、老子の「知足者富」(足るを知る者は富む)という言葉に象徴されます。

4. 道(タオ)の哲学と縄文の精神性

縄文時代の人々は、アニミズム的な信仰を持ち、自然の中に神聖さを見出していたとされています。この自然の力や精霊に対する畏敬の念は、老子の「道」という概念に通じるかもしれません。道(タオ)は、宇宙の根本原理としてすべての存在を生み出す源であり、それはまさに自然そのものを意味します。

5. 結論

縄文時代の生活や社会構造と『老子』の思想には、直接的な歴史的つながりはないものの、自然との共生、支配を最小限に抑えた生活、シンプルな暮らしなどの面で共通の価値観が見られます。縄文時代の民の生活様式は、老子の哲学と重なる部分が多く、自然に逆らわずに生きるという点で相通じるものがあるといえます。
最も大きな共通点は不争「決して争わないこと」ではないでしょうか。


わたしは相互に強い関係性があると考えています。縄文時代を調べれば調べるほど老子が日本の縄文時代を理想社会と捉えていた可能性が高いと思うのです。単に共通項があるといった漠然としたものではありません。弥生時代からの日本の歴史とその以前の歴史には大きな隔たりがあるのです。

老子の時代は今からおよそ2500年前、ちょうどブッダも孔子も生きた時代です。その頃の社会は現在とほとんど変わりません。何が大きく変わったかといえば、農耕をはじめとする生産活動がもたらした一大変革です。鉄器が農具となり武器となりました。鉄の時代は今も続いています。

野球の試合にたとえて申しますと、攻撃より守りを徹底すれば互いに勝ちはなくとも引き分けですみます。攻撃をしないと点は入りませんから勝ちはありません。攻撃は本当に必要なのかということです。老子の時代にはすでに大規模な戦争があり、殺戮と報復の連鎖が続いていました。

東の太陽が上がる国は、貧しく人の数も少ないが、みな幸せに暮らしていたとの話を賢人であった老子が知らないはずは無かったでしょう。知らないどころか彼はその社会の在りようを理想と考えたのではないか?自分さえ良ければそれで良いじゃないかという競争社会とは真逆の発想でした。


縄文式土器に比べ弥生式土器は実利優先に感じますし、土偶と埴輪にも大きな文化的差異があります。縄文式土器の特徴をずばり申し上げれば「その形状」です。縄文は支えが無ければ自立しないのです。縄目の意味はメッセージだと思います。火を効率よく使うための工夫でもあります。

見出し画像をもう一度ご覧ください。壁が無いでしょう。ですから構造的に強いのです。地面を掘ってあるから冬暖かく夏涼しい。断熱材で囲まれたような合理的な住まいは、さらに雪が降り積もってもまるで「かまくら」のように暖かく、むしろの入口は換気と出入りに便利だったことでしょう。

一万年以上も続いた縄文時代は、やがて後戻りできない、取り返しのつかない時代に突入していきます。共に幸せに暮らせる社会が豊かである必要はありません。貧しくても互いに励まし合い支え合っていく家族が社会がその理想だと思います。少子高齢化であっても何も悪くはありませんよ。

元気な者が弱い人を助ける。働けるうちは働く。病人や怪我人の看病をする。当たり前のことです。長生きのできなかった時代といわれていますが、はたして長寿が理想でしょうか。限られた命を最大限に活かして、短くとも充実した日々を送ることの方がわたしには幸せに思えてならないのです。


ご覧頂き有難うございます。
念水庵 正道

ムシロ(筵)を入口に垂らしておく。
むしろ(寧ろ)この方がいいかもしれません笑

三内丸山遺跡

「勝つ」必要なんてない。

いいなと思ったら応援しよう!