
禅の道(113)後悔や反省も亦よし
後悔や反省も亦(また)よし――「懴悔」というやさしさの道
私たちは、つい自分を責めてしまうことがよくあります。
「あんなこと言わなければよかった」「あんな行動をとらなければよかった」「あそこに行かなければよかった」……。
気づけば、過去の出来事を思い出しては、くよくよと後悔し、自己嫌悪に陥ってしまうものです。
そして、「後悔なんてやめよう」「反省は大事だけど、過ぎたことを悔やんでも仕方ない」と、自分を奮い立たせる言葉を新たに掲げてみたところで、またいつの間にか自分を責めている……。そんな堂々巡りに陥るのは、きっと誰しも経験があるのではないでしょうか。
実は仏教では、ただ「後悔をやめる」というのではなく、「懴悔(さんげ)」という姿勢を大切にしています。
懴悔とは、自分の言動や心の動きを丁寧に観察し、その奥にある原因を探っていくこと。
「なぜ、あのときあんな言葉を口にしてしまったのか?」
「どうして、あんな行動をしてしまったのか?」
私たち自身にもよくわからない深いところ――それこそ遺伝子に刻まれているかもしれない精神的な体質や、ずっと抱えてきた心の癖を見つめてみるのです。
そしてそのとき、ただ黙って、静かに「今ここ」に集中してみる。
静かに座り、自分の心の奥に生まれた怒りや欲望、愚かな行為の動機を見つめてみる。
すると、それらがどこからやってきたのか、少しずつ見えてくるものがあります。
振り返れば、私たちは優しい気持ちを持っているからこそ、後悔もするし、反省もします。
もし自分の言動をまったく気にしない人間だったら、後悔なんてしないでしょう。
だけど「もっと相手を大事にしたかった」「あの人を傷つけてしまったかもしれない」――そんな想いがあるからこそ、過去を振り返って反省するのです。
そこには、確かに「慈悲のこころ」があるのです。
以前、「怒り」を感じたときには「オーマイジーン」と唱えるといい、というお話をしました。
“ジーン”と胸が熱くなるとき、私たちは自分のなかにある感情をしっかり自覚し、見つめ直すことができます。
「どうしてこんなにイライラしてしまうんだろう?」
「なぜ、あの人の言葉に腹が立つのだろう?」
自分の感情をそのまま受け止め、そこに潜んでいるやさしさにも気づく。
そうすると「本当は、もっとおだやかでいたい」という願いにまで思い至るのです。
一方で、私たちはしばしば「性格を変えなきゃ」「もっと強くならなきゃ」と、無理をしてしまいます。
でも禅の教えでは、「あるがままを見つめること」を大事にします。
必死になって自分を変えようとするよりも、まず「今の自分はこんな性格なんだ」「こんな心の動きがあるんだ」と、丸ごと受け止めるのです。
「がんばっているな」「すごく苦しかったんだな」――そんな優しい言葉を自分にかけてあげるだけで、ほっと安心できるかもしれません。
そうして静かに「今この瞬間」を見つめ続けていると、後悔や反省すらも、そこに生きている証しとして、あなたの大切な一部になっていきます。
後悔に捕らわれず、しかしきちんと振り返り、心の奥にあるやさしさを見つめる。
これが、禅における「懴悔」の道なのです。
すべては今、この瞬間に息づいています。
そして、私たちは常に、そのときどきの「最善」を尽くして生きているのです。
もし自分を責めすぎてしまうなら、ちょっとだけゆるめてあげましょう。
自分をいたわるその気持ちこそが、周りの人をより深く理解し、思いやる大きな慈悲へとつながっていくはずです。
あなたはすでにやさしさをもっている――。
どうか、そのことを思い出してください。
心の奥にある“優しさ”と“静けさ”を見つめて、懴悔とともに新しい一歩を踏み出せるよう、そっと自分を励ましていきましょう。
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身口意之所生 一切我今皆懺悔
まずは自らを慈しむ。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道