第1章 ヒマワリ
ぐるぐると考えていた。
彼女が死んでから、1ヶ月と半分の間、一歩も図書館から外に出なかった。彼女が異臭を放つようになったのは、ずいぶん前のことだが、いつからなのか覚えていない。蓄えていた食料も2日前に尽きてしまった。そろそろ、何かをどうにかしなければいけないことは分かるが、身体よりも何よりも、頭が動かない。
僕と彼女が根城にしていたのは朽ちかけた図書館で、彼女は文字が読めたけれど、文字が読めない僕が1人で暮らすことは何かひどく滑稽なことに思えた。
一度だけ、本を開いたことがある。文字だけではなく、絵や写真が多く載っている本だ。そこには、奇妙な生き物が描かれていた。手も足もなく、細長いものだったり、平べったいものだったりするものが多い。水の中にいるようだ。空気のない場所で生きる生き物のことを考えて、気味が悪くなり、本を閉じた。
一度だけ、泣きそうになったことがある。でも、涙を流す意味を考え始めたら、訳が分からなくなって、涙は流れ出すのを断念した。
何度か、カーテンを開けようとしたことがある。古いけれど、厚く、複雑な紋様のある灰色のカーテンだ。日差しを一切通さない。彼女は毎朝、起きるとすぐにこのカーテンを開けていた。僕が一度でもカーテンを開けてしまえば、彼女は二度と戻らない気がした。カーテンなど関係なく、彼女は戻ることはないのだけれど。
僕がカーテンを開けないものだから、彼女が育てていた向日葵は枯れてしまった。ある日、彼女は向日葵の種をもらってきたとはしゃいでいた。それは、黒く、小さく、三角錐のような形をしていた。2人とも、実際の向日葵を見たことがないものだから、それが向日葵の種ではないことに気付かない。太い茎ではなく、ひょろりとした蔓が伸び、騙されたのではないか、と話している内にラッパのような花が咲いた。議論の末、これは向日葵ということになった。話に聞いていた姿とはだいぶ違うが、朝日を受けて咲く姿はとても力強く見えた。
何度か、死んでしまおうと思ったことがある。彼女が死んだら、僕の存在理由は無くなるから。でも、彼女がやっぱり本当は生きていたら、恐ろしい方法で、殺される。それは、怖い。とても、怖い。だから、生きていた。そんなことはあり得ないと信じていたけれど。
毎日、水を飲んでいた。食べなくとも、すぐには死なないが、飲まなければ、すぐに死ぬと聞いていたからだ。向日葵には、僕が飲む分の水しかないと嘘をついて、水をやらなかった。
毎日、彼女について、考えていた。彼女が僕の生きる意味だった、大袈裟な表現ではなく。死にたくはない。でも、彼女のいない世界で生きたくもない。
彼女がいつも本を読んでいた机にしがみつく。彼女の匂いなんて、するはずがないけど。机を撫でる。ざりざりとした手触りがする。何かが指にひっかかる。
不意に顔を上げる。机を見る。そこには、いくつもの文字が並んでいた。今まで、気付かなかった。悲しみに明け暮れていたせいだ。どうやら、手紙らしいと推測する。
だって、最初と最後に僕の唯一知る言葉が書いてあったから。アオクロ、僕の名前。アゲハ、彼女の名前。
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