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《舌染红尘》中国語エッセイ翻訳チャレンジ 3 羊双肠

 羊双腸は開封では有名な小吃だ。羊の腸にその血を注いで作る腸詰だ。

その作り方は以下のような手順になる。

 まず、放血したばかりの新鮮な羊の血を濾して固形物を取り去る。そして、それに少量の塩とデンプンを加え、きれいに洗った羊の腸に注ぎ込んでいく。それらすべての作業を終えたら、その腸を茹でる。
これで羊双腸の完成だ。

 羊双腸を食べる時は最初にまず輪切りにする。
一つ一つ丸いかたまりになった羊の腸詰は、外は白い皮に包まれて中は羊の血の深紅だ。それが一つ一つ椀の底に積み重なっている様子はとても美しい。
 さて、その椀の中にドサッと入った腸詰によく煮立ったアツアツの羊肉鮮湯(羊のスープの一種)をそそぎ、その上に香菜をパラパラっと散らして、さらにラー油をかける。
 口をつける前からその香ばしい香りが鼻をくすぐり、一口飲めば濃厚で華やかな味が口の中に広がる。椀の底の羊双腸をひとかけ摘まみ上げて口に放り込めば、その滑らかで弾力のある歯ごたえがたまらない。体もほかほか温まり、まったく食べる人へのご褒美といっていいだろう。

 ただ羊双腸に対する感情は、開封の人々の間でも評価が分かれるところだ。これが好きな人はまるで明りに引き付けられる夏の虫のごとく、するすると惹きつけられていくが、嫌いな人は見るのも嫌がる。

 嫌いな人も味が嫌いというよりは、むしろ衛生面から嫌がる人が多い。(ちなみに味は純羊肉湯とだいたいおなじでこのスープが好きな人は大体羊双腸も好きだったりする)

 かつての開封羊双腸は習慣的に各家庭、各料理屋のやり方で作られていたので、統一された衛生基準というのが存在せず、羊の腸を洗うのも中々手がかかるものだから、そういう”問題”が起きやすかった。臭みが強いなんて言うのはマシな方で、ひどいものになると、食べた人は吐き下しが止まらないなんてこともあった。

 今日は往時とは状況は違うものの、相変わらず衛生問題は羊双腸の大きな弱点であり続けて、この問題点から羊双腸は開封の小吃の中で、ずっと議論の的になっていて、たくさんの開封育ちの地元民が一生食べないものでもある。私が子供のころ聞いた話では、ある羊双腸のお店をやっている家は誰も自分のところの商品を食べないという話だった。

  医者であった母は私たちにこういう怪しげな食べ物を食べることは許さなかったし、うちでは羊双腸が話題になることもなかった。
 私が高校へ上がったころようやくこの食べ物の存在を知り、同級生と何度か食べる機会を得ると、すぐにこの独特な味に魅了された。毎回こっそり外出中に食べていたが、そのあとは見つからないように証拠の隠滅が必要だった。体についた臭いを消して、体にラー油がついてないか確認したし、香菜が歯に挟まってないように掃除して、ガムを嚙んだ。常に何も食べてませんよ!という風を装い、潔白な身の上を演出した。汚いものを遠ざける清純で折り目正しい娘を演出していたのだ。

 羊双腸に対する気持ちは、何か他のものを待ち望んでいる人びとの様子を私に思い起こさせる。たとえば”一夜限りの関係”だ。
 あなたがバーで偶然一人の笑顔の魅力的な済んだ瞳の美女、もしくは優しげでスマートな紳士に出会ったとしよう。彼もしくは彼女はあなたに対して、まるで詩人に月のような、老酒にピーナッツのような絶妙な相手なのだ――言い尽くせないほどの相性のツーカーの仲なのだ。
 この時、あなたは一方では気持ちが惹かれていくのを感じ、もう一方ではその甘い誘惑の他に恐れを感じるだろう。興奮と冒険の緊張が合わさったような気持ちで、行くのか行かないのか?心の中でいくつもの葛藤が生まれれ、その気持ちに迷いながら誘惑の深みに誘い込まれるのだ。

 さて、そんなもろもろの痕跡をすべて消し去った後、あなたは満足の中で普段の生活へと帰っていくわけだが、その時にはまじめな顔の高尚な人間のような、まるでこのかた低俗なことなどに全く興味はないような態度になっている。誰もあなたのその心の中の喜びを知らない。誰も狂った喜びに耽るあなたを知らない。誰もその比べようもない喜びをあなたが持っていることを知らないのだ。
 ただ、本人はやはり気が気ではない。なぜなら一夜の思い出には危険がいっぱいだ――秘密がばれるかもしれない、性病にかかるかも、相手に纏わりつかれるかもしれない、もちろんこういう話が一緒になって出てくるかもしれない。どれもあなたの美しい人生と生活を打ち壊してしまう破壊力を秘めた問題だ。まさにこの手の問題のために多くの人は一夜のロマンスを敬遠する。もしもオナニーのように秘密裏に全く安心してできるとしたら、私もむしろオナニーよりもっと”それ”を試してみたいものだ。

 初めてのロマンスに成功したあなたは、ひとまずリラックスして、それからそのどれもが虚しいものだと気が付くだろう。それは湖に石を一個放り込んだようなもので、ただ自分の心の水面にさざ波を起こしたに過ぎない。ほかの人には全く影響もなければ、自分自身でさえその冒険をだんだんと忘れていく。そうしてあなたの気持ちはまたぞろ色めき立つち、次の出会いを求めて、準備を始めるのだ。最初の興奮と危なげなくやりおおせた感覚から、もう止まることはできない。
 
 私は故郷を離れて何年もたったある年の冬に一度帰郷した。空は寒々として、地面も凍りついていた。私は突然あつあつの羊双腸が食べたくなった。一度あの滑らかな食感や羊のスープの香りを思い出したら、涎が止まらなくなった。母を避けて、そっと父に近づくと試しに訊いてみた。
「お父さん、私が家を出て何年にもなるけど、あの鼓楼にある羊双腸のお店はまだやっているかしら?」
 医者でもある父はこれを聞いて笑みを浮かべると
「実はあの鼓楼のお店はあんまりおいしくないんだよ。私がいつも言ってるお店に一緒に行こう、城西の孫家はもっとおいしいよ。」

こんな感じで私と父は自転車にまたがると家を飛び出した。寒風吹きすさぶ街の中を、同じ楽しみを持つ仲間と一緒に道を行く嬉しさと、もうすぐ食べられるあの味と喜び、監視を潜り抜けた解放感、そして同時に一種のスリルにニコニコしながら駆け抜けたのだった。


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