給料はあなたの価値を反映しているか?
この前、職場でパートスタッフを募集する運びとなり、応募内容のうち「時給をいくらにするか」という話になりました。
近隣の同業他社の募集と比較して、それよりも少し高いくらいの時給でどうか?と提案してみたところ、現在働いてくれているベテランのパートスタッフの時給を少し上回る時給となってしまい、公平性の観点から「今までがんばってくれていたパートさんよりも、たまたまこの時期に入社した新入スタッフの方が時給が高いのはおかしい」という話になりました。
人手不足の状況を改善するための募集なので、結局のところ僕が提案した時給に決まりましたが、この議論は賃金の決まり方について考えさせられる一幕だったと振り返っています。
給料は生活水準を高めるだけでなく、わかりやすく数値化された会社からの評価の指標にもなるので、給料が高ければ高いほど自分の会社への貢献度も高いと思えるようになります。
反対にわかりやすく数値化(金額化)された評価指標であることから、自分の給料をそのまま自分の労働の価値だと思ってしまう人も一定数いるでしょう。「市場価値」という言葉がその傾向を物語っています。
例えば、合コンの様なシチュエーションで、年収が話題に挙がった時に、男性ならば年収が高い方が自分に自信を持つことができるはずです。反対に年収が低い場合に強気になれない人も多くいます。
こういった時、人によっては「自分にはこれだけの価値しかない」もしくは「あんなに頑張っているのにこれだけの評価しかしてくれない」といった悩みや不満を抱くことに繋がります。
少しネットを調べてみただけで、下記の様なネガティブな記事が複数出てきました。
給料の低さと自己肯定感の衰退は相関関係にあるのかもしれません。
しかし、実際の給料の決まり方というのは、冒頭で書いたように同業他社との比較や人手不足等の企業が抱える問題と紐づいているケースが大半です。
もちろん能力が高い労働者に企業は高い賃金を支払うのが市場の原理ですが、その労働者が安い賃金で働き続けてくれるとわかれば、企業は賃金を上げることはありません。
かつて、思想家のカール・マルクスは『資本論』のなかで、「労働価値説」という理論を唱えました。「労働価値説」は、商品やサービスの価値は、それを生産するために費やされた労働時間によって決まるとする理論です。つまり、賃金は仕事の成果物ではなく、掛けられた時間に紐づいて決まるというものです。
その後、時代は進んで肉体労働から知識労働に仕事がシフトした結果、現代の賃金決定にはスキルや知識、市場の需要と供給、企業の財務状況、労働組合の影響など、多くの要因が関与するようになりました。
それによって、給料が労働者の価値を反映しているように考えることもできるようになってきています。しかし、それは一部に過ぎません。
日本社会の労働環境を膨大なデータと歴史から読み解いていく小熊英二先生の『日本社会のしくみ』という本があります。
この本を読むと、日本社会で醸成された様々な慣習のもとに、労働者の賃金が決められているということがよくわかります。
結局のところ、給料というのは、経営者と労働者それぞれの都合にあわせた妥協点として決まっているわけです。
だから、もしあなたが自分の給料が低いからといって深く落ち込んでいるとしたら、その落ち込み方は間違っています。
給料はあなたの価値を反映させたものではないからです。