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こしのないうどんを食べる|博多うどん派の事情

もともと、うどんもそばも好きでよく食べていたけれど、胃を摘出してからというもの、そばを食べることができなくなってしまいました。

普通はあまり意識しないことだと思いますが、人はそばを食べる時に、良く噛まずにツルっと喉越しを楽しんで食べています。

しかし胃とともに食道も切除している僕は、そばを噛まずにツルっと食べて飲み込むと、喉につっかえて戻してしまうのです。だから、そばを食べる時でもよく嚙んで食べるのですが、そばはよく嚙むと全然美味しくない。嚙めば嚙むほど味が出てくる類の食材ではないのです。

だから、どちらかと言うとそばよりもうどんを食べることの方が多いです。しかし、うどんも「コシ」を売りにしているケースが大半で、そばよりはマシだがよく噛まなければなりません。そばに比べるとよく噛んでも味が出てきて美味しいと思います。

調べてみると、どうやら讃岐うどんのブームが1970年代にあったらしく、それ以来、うどんと言えばコシのある讃岐うどん、という食文化が定着した模様です。

これにより僕の食生活はまたまたアウェーな状況に陥ってしまいました。自分の身体が社会の流行にそぐわないのは、結構しんどいものがあります。

しかし、讃岐うどんほどの知名度はないものの、他にも色々なうどんが存在します。その代表格が九州の博多うどんです。

博多うどんは麺が柔らかく、意図的とも思えるほどコシのない麺であることが特徴です。そして麵ではなく、出汁を美味しくすることに力をいれています。

これに、ごぼう天を載せて食べるのですが、これなら僕の細い食でもスルッと麵が通り、出汁は身体に染みわたり、満腹感と幸福感をともに味わうことができるのです。

だから、僕にとってうどんというのは「コシより出汁」であって、行ったことのない博多にも「きっと懐の深い優しい街なんだろうな」と、優しさを感じてしまうほど思いを馳せています。

もちろん、自炊でうどんを茹でる時はふにゃふにゃになるまで茹で上げてから食べれば良いのです。讃岐うどんの固定概念が外れれば、もうあとは自分の好きにすることができる。

こうして、社会のブームにそぐわない身体から、またひとつ逃げ道を見つけました。明日からも何とか生きていけるような気がしています。

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