なぜ食事をするのか|少食でも美食を求める理由
僕は一般成人男性に比べるとかなり少食です。休日は1日に2食で充分で、仕事をしている平日もランチは取らず軽食で栄養補給だけしていることがほとんどです。
これは20代前半にがんの治療のために胃を全摘出していることが影響しています。そもそもの身体の構造からして、あまりたくさん食べることができないのです。
また、食べたものが胃を介さずに腸へ送られるため、血糖値が急上昇してしまう後遺症も残っています。これにより、食事をすること自体が少し億劫に感じることもあります。
この様に書くとしんどい経験をしている様に思われるかもしれませんが、もうかれこれ10年以上この身体で生きているので、様々な対策も覚え、食への価値観も変わり、それほど苦労をしているわけでもありません。
何よりも、そもそも人間はそこまで大量に食事を摂る必要はなかったのだと気づくことにも繋がりました。食事に対する考え方を見つめ直すきっかけになっているように思います。
コロナウイルス渦で外食が制限されていた時期に、ほぼ全ての食事を自分ひとりで準備していた時のことです。少食である僕が他人との食事の機会を持たない場合、本当に必要な分だけを摂取することになります。
当時は質素な食事で時々お酒を飲むだけで充分に満たされた気持ちになっていました。タンパク質は豆腐や納豆などの大豆から摂取し、後はうどんなどの麺類を柔らかく茹でて適当に食べればそれでもう充分だったのです。
その名残もあって今もあまり外食はせず、自分に必要な分だけを食べていることが多いのですが、最近になって少し考え方が変わってきました。
少食である自分にとって少し無理をするようでも、美味しいものは積極的に食べるようにしています。
豆腐や納豆で満足できる質素な身体であるにも関わらず、なぜそう考えるのか。
それは、人との共通の話題のためです。
食事にまつわる話というのは絶えることはなく、今でも多くの人が「あのお店の○○は美味しい」「○○を食べたことはあるか」といった会話を繰り広げています。
全国各地でそれぞれの土地の名産や郷土料理があり、それらを食べたことがあるか、どの料理が好みなのか、そういった経験を共有することで人との会話がぐっと盛り上がることになります。
食事というのは何も個人の栄養摂取のためのものではなく、他者との交流の機会になり得ます。それは会食の様なかたちだけではなく、食事の趣味嗜好の共有というかたちでコミュニケーションのきっかけになります。
そういった要素があるのならば、本当は豆腐や納豆で充分な身体だとしても、全国津々浦々の美味しいものを無理にでも食べておいて、その感想を多くの人と共有したいと思っています。
少食である僕が食事をする理由は、食事を通して多くの友人と交流を持つため。極めてシンプルな理由です。
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