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発熱と天井のシミ|人生は長い
熱が出たので週末は一日中家で過ごしていた。ここ最近は仕事が忙しかったので、せめて休日は何か生きている足跡を残そうと、必ずどこかしら行ったことのない自治体まで足を運んでいたが、それもこれにてストップしてしまった。
こうして久しぶりにゆっくりすると少し価値観に変化が出てくる。誰もがそうだと思うが、突然時の流れがゆっくりになり、今まで何であんなに忙しなく過ごしていたんだろうと思うのだ。
そこまで高熱が出たわけではなかったので、この程度の発熱であれば却って身体を休めることにもなった。
やるべきことは「熱を下げること」であるから「やらなきゃいけない」といった家事などより寝ることのプライオリティが高まるのが良い。いつもならば、ダラダラと寝て過ごしてしまった時には時間を無駄してしまったと悔いることが多いが、その罪悪感なしに眠りに付けるのは非常に心地よいものだった。
そして些細なことにも関心が行くようになるのも面白い。ずっと寝ているのでだんだんともう眠れなくなってしまい、目を閉じずに横になっている時間も増えてくる。そうすると本を読んだりする分には良いが、その気力もない状態なので、ただただ天井を眺めるようになる。すると今まで気づかなかった天井のシミが目に入るようになるのだ。
そのシミも見つめていることで、だんだんと動物の顔に見えてきたり、子供のころの夏休みに見た青空に浮かぶ雲のかたちにも見えてくる。もはやそのシミには愛着が湧いてきてしまった。
これほど無意味なことに対して思索を深める機会は、働いている時には訪れてくれない。休みの日だとしても、もっと他のことに頭を使っているので、これは発熱をしたからこそ得られた機会だ。
この経験が何かの役に立つとは思えないけれど、「これも人生」という広い哲学的な枠組みに押し込めて、忘れることのない一日として記憶しておこうと思う。
人生は短い。だから何事にも即行動し、その行動をし続けなければならない。一方で、人生は眩暈がするほど長いとも言える。たまにはこうして無駄なことに意識を向け続ける一日も必要だと思う様になってきた。