11月写真集 4 atelierity online 2021年11月20日 15:20 汚い部屋で写真を取っても魅力的な空気感は出せるんじゃないかと適当にカメラの設定をいじり、誤魔化しの為の設定で、魅力的なモノを撮ったら、どう感じるかを試した。 手垢の付いたタブレット。雑然とした机。雑味を消そうと白く飛ばして汚さを誤魔化して見ても、写真からは雑然とした匂いが消し去られはしない。 我が家の書斎は天井が高い。だから、お洒落な写真を撮りたければ誤魔化しは効く。高い所に登ったり、低い所から撮って広がりを演出してあげればいい。4年住んで、そんな写真を撮る事には飽きてしまった。 くたびれた靴。くたびれた街でくたびれたモノを写そうと歩いていた時に、自分自身も、その求めている、くたびれた被写体である事に気付く。 電信柱。電柱。お洒落じゃない。綺麗じゃない。僕達の住む国にはありふれた無視可能な存在の写真。 誰かが落とした帽子を、誰かが拾って信号機のボタンにかけた。それを僕が写真に撮った。 街にはなんで、そうしたのか分からない様なモノが沢山ある。壁に大きなネコの絵を描いて一体何になるのだろう。僕みたいに不思議に思って写真を撮る人の為では無い筈である。 空き缶、つまりはゴミの写真。だけど、きっと僕はゴミでも、容姿端麗なモデルさんでも、煌びやかな街でも、写真を撮る単純な楽しさは、ちっとも増減しない。 妻が作ったトイレのディスプレイ。うちはドライフラワーのメーカーだから、至る処にドライフラワーがある。それを使って妻が飾った環境が僕は大好きで、有難うと思って、シャッターを切る。 ブランコと言う遊具は大人が乗ってもそれなりに楽しくて、子供を親が後ろから押したり、凄く良いのに、誰も乗っていないと何故か、とても寂しい気持ちになる見た目をしている。 竹は日本以外にも沢山生えている。なのに、その姿にとても和を感じるのは、きっと僕のエゴなのだろう。漢字や天ぷらと同じようなモノなのか、と思った。 滅多に空なんて見ないし、まして写真に撮ったりもしない。綺麗な空に出会うのはいつも運転中。散歩をしていた時に撮影。そら、と打ったら宇宙と変換したiPadをロマンチストだと思った。 秋には多くの種を見る。植物の意識は種子の中で眠るのか、それとも発芽の時に文字通り芽生えるのか、それとも、そんなモノはありもしないのだろうか。 妻と食べたモノを写真に写すのは好きである。それがファストフードであろうが、インスタントであろうが、これから何万回も一緒に食事をするのだから、その何回かは保存しておきたい。 妻とは良くパン屋に行く。妻はパンが好きである。作るのも食べるのも。そんな彼女に影響されて、僕もパン好きになった。写真はベーグル屋さんのベーグルだけど。 何事もシンプルなモノが好きである。ドーナツもオールドファッションをチョイスに入れない事はない。ラーメンは左上の食券を買う。だから何?という話。 妻「生ハムメロンがあるから、梨に生ハム巻いてもOKだよね」美味しかった。次は柿でやろう。 奥行きのある場所で、何かの質感を写すのが好きである。極端な話、人間の腕の産毛の生えている質感とか、そういったモノでもいい。 名前も知らない、仲間の社長さんが奄美大島の実家から送られてくるとくれる魚。名前を知らない食べ物の中で一番好き。 切り株の写真を撮るのが好きである。理由も用途も特にないのだが、山道で見かける度に写真に収めている。 アリストロメリア。僕が好きな、この植物は綺麗な百合の花を咲かすけど、僕が好きなのは、この葉の質感と妖精みたいな名前。 アトリエの階段。建物に元々階段がなくて自作した。その内壊して、また別の階段を作る予定。 ジャガイモの発芽。二毛作でジャガイモを回している畑がある。そこで採れたジャガイモで妻とキャンプ飯を作る。自宅のキッチンで。 我が家の一度も身をつけた事のないオリーブ。推定7歳。無能。 奥行きのある空間と質感の話は先ほどしたので割愛。 同上。 松の手入れをするのが好きだけど、手入れのされていない野性味のある松も好きである。髪の毛も、そんな感じで手入れをしなくても好きでいられれば助かるのに。 植物の一番の面白みは、その質感のバリエーションである。動物はかなり種を分けなければ質感は分かれない。植物は時期や部分でいつも違う。 山道はカメラがなくても大好きである。深呼吸などワザワザする必要すらない。ただひたすらに歩いているだけでいい。 きのこ。多分食べられないやつ。 いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する 4