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少食な人にとって美食大国の日本はアウェー

僕は身体から胃を全摘出しているので、基本的に少食なうえに時々がっつり食事をしても腹を壊したり喉につっかえて食べ切れなかったり、満足に食事を終えることが難しいことばかりです。

それでも満腹感や満足感を得たい欲求はあるので、手っ取り早い方法が酒を飲むことになり、飲みながらゆっくり少しだけ食べる分には満足がいくほど食事を摂ることができます。

僕は幸運なことに下戸ではなかったので、食事ができないハンディを酒で埋めるという妙な対策ができていますが、酒も無限に飲めるわけではなくシラフの時間も大切にしたいので、これもどうかと思いながら日々を過ごしている状況です。

やはり「美味いものを食べる」ということを共通の目的として育まれる交流が世の中には非常に多い。これが胃のない僕にとっては厳しい環境になっています。

会話なんて食事をしなくてもできるじゃないか、そう思っても、自分ひとりではどうすることもできないのです。

しかも日本にはあまりにも美食が多く溢れていて、誰もかれもが食事が大好きで、食事が苦手な人にとって生きづらい国だと思います。

食事を通して交流をするのは全世界共通の習慣なのかもしれませんが、日本を出てみれば何もここまで食にこだわっているわけではないことも見えてくるはずです。

何年も前にインドに行った時には、現地の人たちも信仰する宗教が異なる場合は行くレストランも異なっていました。肉が食べれたり食べれなかったり、そういった多様なケースをベジタリアン向け(通称「ベジ」)とそうではない人向け(通称「ノンベジ」)で分けていました。

また、チャイを飲みながら会話を楽しんでいる人も多く、週末にはイケないものをプカプカ吸ってダラダラ話している人も多いようです。

僕は行ったことはないけれど、イギリスは食事がまずいことで有名ですが、イギリスのエールビールは物凄く美味しく、イギリス人はつまみを食べずにチビチビとビールを飲みながらパブで交流を楽しんでいるらしいです。

こうして考えると、人は要するに「快楽」を求めつつ、社会的に交流をする傾向にあるように見えます。日本の場合は食への関心が異様に高く、その資源も技術も豊富なので、みんながみんな「美味いものを食う」のが大好きな社会なわけです。

だから、そんなアウェーな社会において、僕は今夜もひとりで立ち飲み屋に行き、自分の好きな酒と自分に適した量の食事だけ注文し、胃のない身体で飲食を楽しんでいます。

アウェーな環境でも逃げ道はあるものなのです。

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