プレーンの味も悪くない|素材の味を楽しむ?
朝食は基本的にコーヒーと一緒に食パンを食べています。季節によっては紅茶にすることもありますが、その時も食べるのは食パンです。
食パンのうえに載せるのは、理想としてはバターなのですが少し高価なのでピーナッツバターか何らかのジャムを選ぶことが多いです。最近は名古屋によく行くこともあり、小倉トーストにすることもあります。
先日、食パンを切らさないように5枚切りのものを買ったのですが、ピーナッツバターもジャムも切らしてしまい、食パンに載せるものが何もない状態で朝を迎えてしまいました。
しかも、コーヒーは既に淹れ終わっていたので、今から買いに行くのも躊躇してしまいます。
そこで、思い切って食パンに何も載せないでプレーンの状態で食べてみることにしました。ブラックのコーヒーとプレーンのトースト、必然的にこれらの素材の味だけを楽しまざるを得なくなったのです。
しかし、心のなかで物足りなさを抱きながら食べてみたところ、プレーンのトーストからはしっかりと味を感じることができ、思いがけず小麦の香りや風味まで味わうことになりました。
そのプレーンな味わいと風味はブラックのコーヒーとの相性も非常に良く、いつも通りの幸福感のある朝を過ごすことができたのです。
これはピーナッツバターやジャムを載せている時には気づけないことでした。
思えば、パンが主食である西洋の歴史にまつわる本を読んでいると、よく「麦の恵み」といった表現が出てきます。キリスト教の歴史にも関係が深い、象徴でもあるパンは、本来はこのくらいの有難みを感じてしかるべきものなのでしょう。
「素材の味を楽しむ」とまではいきませんが「素材の味で充分満足できる」ということを体感することができました。
以前、ビールを飲まなくても炭酸水で充分だという思いを書いたことがありますが、パンもこれと同じなのかもしれません。
個人的にはピーナッツバターがめちゃくちゃ好きなので、結局のところプレーンで食パンを食べ続けるわけではないと思います。
しかし、当たり前のように何でもかんでも追加してしまう日常生活への注意喚起にはなりました。
やはり暮らしというのは本当はもっとシンプルなものだけで充分なのかもしれません。