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食事と社会|菜食主義からジャンクフードまで

ずっと積読していたレオナルド・ダ・ヴィンチの伝記を読んでいる。

スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクの伝記で著名なウォルター・アイザックソンが過去に出していた一冊で、緻密な調査をもとに一人の天才の人生が描かれていく。著者がフォーカスするのは、単なる専門家ではなく人文科学と自然科学の交差点を体現する様な万能のイノベーターであり、レオナルド・ダ・ヴィンチはまさにそれを体現する様なひとりだ。

そんなレオナルド・ダ・ヴィンチはどうやら菜食主義者だったらしく、著書のなかにもこんなことが書かれている。

「動物の王を名乗りながら、なぜ自らの味覚を楽しませるためだけに家畜を飼育し、その子らを食すのか」

「自然はわれわれの空腹を満たすのに十分なシンプルフードを与えてくれるではないか。シンプルな食材で満足できないなら、いくつかを組み合わせていろいろな味を生み出したらいい」

『レオナルド・ダ・ヴィンチ』/ウォルター・アイザックソン著(文春文庫 上巻)P.196

ちなみにスティーブ・ジョブズも菜食主義者であり、本の中でもよくヴィーガンレストランが出てきていた。

人間は自分の身体が食べるもので構成されるので、食事にはこだわりを持つ人が多い。レオナルド・ダ・ヴィンチもスティーブ・ジョブズもこだわりの強い性格でありつつ、人文学に関する関心も高いことから実際に肉を食べない生活になったのだろう。

だが、これを真似してみようと思っても、なかなか難しい問題がある。それは人間関係だ。

自分ひとりで食事をこだわったとしても家族や友人は肉を普通に食べる。ダ・ヴィンチもジョブズも、極端に我が道を行ける孤高の存在であるから菜食主義生活ができたのだと思う。

実は僕も肉を食べない暮らしを数年していたことがある。胃の手術をした後のリハビリ期と、コロナウイルスのステイホーム期の2回だ。

この時はどうしても人と会えない時期だったこともあり、人間関係を気にする事なく自分が選んだものだけを食べることが可能だった。

こうして肉を食べない暮らしをしてみたのは、僕が胃を摘出していることから食後の倦怠感に悩むケースが多かったことに起因する。食事の負担が減るかもしれないと期待して試してみていたのだ。

そして実際に試してみると、肉を食べるよりも体への負担が減った実感もあったし、体内がクリーンになって健やかな状態になっている実感も感じられた。ここまでクリアな身体でいられるなら、もはや肉など食べたくない、そう思ったことも強く覚えている。

しかしこれには別の課題がある。他者と食事をする状況になると、どうしても肉を避けることができないのだ。

長いリハビリが終わると社会復帰をする必要がある。仕事上の人付き合いもあるし、プライベートでも人と食事をするようになる。パンデミックが終息すると飲食店は営業を再開し、人々は外食を再び始めるようになる。また世の中にあわせる必要が出てきたのだ。

自分だけうまく注文すればいいと思われるかもしれないが、そういう問題でもない。

自分だけクリアなフードばかり食べていると、そうでないものを食べている人を「よくそんなに肉食えるな…」という気持ちで見るようになってしまうのだ。だから必然的に知人と外食に行く機会を断るようになり、次第に友人が減っていくことになってしまう。

自分の身体がいかにクリーンな状態になったとしても、人と食文化的な同調がうまくできないというのは非常に辛いものだと思う。「同じ釜の飯を食う」という言葉は本質をついているような気がする。

レオナルド・ダ・ヴィンチの様に孤高の存在で我が道を行けるのならば良いが、僕にはその様な才能はない。

だから基本的にはマクドナルドを食べたり、居酒屋で肉をがっつり食べたり、周りと同じように食事をするようにしている。野菜も肉も美味しいし、それでいいかと思っている。

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