明日は我が身の世代交代
最近になって職場環境の変化が著しく、昔の上司が退職することがわかりました。そのほかにも複数人が退職するようで、職場では世代交代が起こっている様相を呈しています。
会社に残る側からすると、自分のもとに退職する上司の仕事が降りてくるわけなので、当然その分の仕事と報酬が手に入ることを意味します。責任はありながらも好機なわけです。
こうして自分のもとに役割が降りてくると気が引き締まる思いを覚えながらも、これからが楽しみな気持ちで満たされます。
しかし、退職していく上司の様子を見ていると、何とも複雑な気持ちを抱いてしまいます。かつては自分に指示をしたり注意をしたりしていた上司が、役割を果たせずにその場を後にしようとしているのです。
退職する理由は聞けていませんが、急激な職場環境の変化についていけなくなっているのだと思います。環境の変化への対応力は、やはりどうしてもある程度の若さが必要なのかもしれません。
そう考えると、会社に残る側は今こそがチャンスではありますが、そのチャンスを手に入れて数年が経過したとき、自分も今の上司と同じように世代交代の波に飲まれてしまうかもしれません。
要するに「明日は我が身」ということです。
「役割」というのは自尊心にも関わる、人生における大切なファクトだと思います。自分にはこの役割が果たせないと思ってしまう状況は、もの悲しい心象であるに違いありません。
そのため、世代交代の波にうまく乗ることは意識しながらも、自分が役割を果たせなくなる時(自分が退職する時)のことを考えておこうと思いました。
それは若手に期待をする意識を持つことかもしれませんし、自分自身が会社に依存せずに新しい役割を見つけていることなのかもしれません。
人気絶頂の時に解散することで伝説となるバンドやアイドルがいるように、引き際をうまく自分自身で演出して進退を考えることも必要なのでしょうか。
この様に考えると、バトンを渡す側の気持ちにも非常に複雑なものがありそうです。
自分の世代に期待が寄せられることに浮かれるばかりではなく「明日は我が身」だという自覚を持って、退職していく上司をしっかりと見送ろうと思います。