最近の音楽の聴き方を考える
酒を飲んだ翌日、コーヒーを淹れてクラシック音楽でも聴きながら優雅な朝を過ごそうとSpotifyを起動してみると、ホーム画面に懐かしい音楽の再生履歴が表示されることがある。
前の夜に酔っ払って若い頃に好きだった音楽を聴いて、そのまま眠ってしまったらしい。そして聴いていたことをそれまでに忘れていたので、翌朝にSpotifyを起動してびっくりし、少し恥ずかしい気持ちになる。
社会人になると学生の頃のようには音楽を聴かなくなるので、当時聴いていた音楽を今も聴いているかというと、そうでもないケースの方が多い。
しかし、どうやら酔っ払うと童心に戻るのか、今では聴いていない若い頃に好きだった音楽を聴きたくなるらしい。
学生の頃から10年以上経っており、その間ほとんど聴いていないにも関わらず、これらの音楽ははっきりと覚えている。僕はバンドもやっていたので曲や歌詞だけでなく、それぞれの楽器でどの様な演奏がされているのかを覚えているケースさえたくさんある。
この記憶の定着具合は我ながら少し驚くことがある。もちろん、自分の記憶力を賞賛してるのではなく、音楽が記憶に残るということに驚いている。
もしかしたら、若い頃に形成される記憶というものは定着度が高いのが理由かもしれない。しかし、それにしても普段思い出すことのない音楽が、10年以上のスパンを空けて、ふっと脳内に蘇ってきているのだから不思議なものだ。
だが、当時のことを思い出してみると、その理由もわからなくもない気がしてくる。
僕が学生の頃は、ちょうどiPodが流行り始めていた時だった。僕は周りより少し遅く大学3年生の頃くらいにiPodを購入したことを覚えている。だからそれまではCDを買うかレンタルして、当時の主流であったMDにダビングをして音楽を聴いていた。
この行為は今振り返ってみると物凄くめんどくさい。まずは自分が聞きたい音楽をTSUTAYAなどのレンタルショップで物色し、在庫があった場合はレンタルをする。それを自宅のMDコンポで1枚1枚ダビングをし、手動でアルバム名や曲名を登録して、MDにはラベルを貼って手書きでタイトルを書いていた。その後、延滞料金を取られないよう、期限までレンタルショップに返却するのだ。
そして当時はYouTubeなどが今ほど普及していなかったので、音楽の情報源も、雑誌やCDに封入されているライナーノーツ、そして友人からの口コミが頼りだった。その情報をもとにTSUTAYAや中古CDショップで在庫があるかを必死に探しに行くのである。
それに今のようなサブスクではなかったので、CD1枚1枚に少ないアルバイト代を費やし、身銭を切って音楽を聴いていたから、一曲一曲に対して自然と投資対効果を期待して再生ボタンを押していたことになる。
こうして脳内に刻み込まれた音楽なのだから、何年も聴いていなくても記憶が蘇ってくるのは納得ができるような気がする。
もうあのような面倒な営みには戻ることができないけれど、振り返ってみると楽しくて幸せな時間だった。苦労して身銭を切って聞く音楽だからこそ、噛めば噛むほど味が出るように好きになっていき、何度も何度も繰り返し聴いていた。音楽は読書とは違って、繰り返し聴くことで気づく魅力がたくさん詰まっているものだと思う。
今の様にいつでもどこでも音楽が聴けることは便利で幸せそのものだけれど、少し不便なくらいの方が記憶に刻まれるほど熱中するには良かったのかもしれない。
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