飽食の時代におけるプルースト効果とカレー粉の開発秘話
マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』に由来する「プルースト効果」という現象があります。
主人公がマドレーヌを紅茶に浸して食べると、幼少期の記憶が突然蘇るシーンが描かれることから、人間の味覚と記憶の関係を語る時によく使われる表現です。
また、日本でも幼少期に家庭で食べていた料理の味が想起される食べ物を「おふくろの味」と表現します。
大人になるにつれて環境の変化を経験すると、かつて好んで食べていたものを久しぶりに口にする事でノスタルジーを感じることが増えてきます。
味覚が人間の記憶に強く関係するのであれば、食事という営みは単なる栄養摂取としての役割だけではなく文化的な側面が非常に強いということになります。
美味しい記憶が残っているにも関わらず
プロフィールに書いた通り、僕は過去に胃の全摘出手術を経験しているため、摘出当時のリハビリ期においては食事を摂ることができずに大変な苦労を要しました。
なかでも精神的に最も辛かったことは、食べ物の味を脳が記憶していたことです。
当時は食事量が非常に少なく、例えて言えば、うどんを一本食べたら満腹になってしまうほどだったので、栄養は流動食および薬を用いて摂取して、食事はリハビリのために訓練でするもの、といった状況でした。
もちろん体重は落ちていきましたが、複数回に分けた流動食と薬から栄養を摂取しているので最低限の生活水準は満たしていました。
それならばSF小説が描く未来の様に、食事をせず機械的に栄養だけ摂取していれば良いのではないかとも思えますが、それほど簡単なことではありません。
街を歩けば数多くの飲食店が立ち並び、誇大な広告をもって美味しそうな食べ物を映したディスプレイが道行く人々を誘惑しています。自宅でテレビを点けてみればグルメ番組でタレントが全国の食事を美味しそうに食レポをしています。
食事ができない体になったにも関わらず、これらの広告は過去の味覚を想起させてきます。美味しい記憶が蘇ってきても、今の自分は目の前の食事が食べられず、その現実に打ちひしがれそうになります。
飽食の現代において、美味しそうな食事の広告を目にしないで一日を過ごすことは難しいです。「ケーキを食べればいいじゃない」のように簡単に「薬を飲めばいいじゃない」と言われても、そんなに簡単なことではなかったのです。
しかし、この様な「味覚の記憶」は何も悪いことにばかり作用しません。歴史上ではこの「味覚の記憶」がイノベーションを促進した出来事があったのです。
歴史を変えた味覚の記憶|「あの辛い料理がまた食べたい」
「味覚の記憶」がイノベーションを促進した舞台は18世紀のイギリスとインドです。当時のある有名な食べ物が世界に普及した最初の出来事が味覚の記憶に関係しています。
17世紀にイギリス東インド会社が設立されます。その後、イギリスはインドの貿易や植民を独占的に行うようになり、現地インドにイギリス人の駐在員が多く派遣されるようになりました。
駐在員の多くは現地でインドの料理人たちが作るカレーを日常的に食べていたようです。
このなかに、ウォーレン・ヘイスティングスという東インド会社の社員で初代インド総督を務めた男がいました。
彼はイギリスに帰ってからも「あの辛い料理がまた食べたい」と考え、インドからスパイスの混合粉末を持ち帰ります。そして、現地のインド人とは異なる手法でカレーの再現を試みます。
それが、あらかじめスパイスをブレンドして粉末化する、カレー粉の発明でした。
ウォーレン・ヘイスティングスの脳内に「あの辛い料理がまた食べたい」という強い「味覚の記憶」が想起されたことをきっかけに、インドだけの食べ物であったカレーが世界に広まることに繋がったのです。
味覚の記憶がもたらす問題解決とイノベーション
過去に完全食がもたらす未来という記事を書いたことがあります。摂食に困難を抱える人にとっての希望になり得るテクノロジーの発展に大きな期待を抱いて書いたものです。
この様にテクノロジーは摂食が困難な人の栄養摂取の問題は解決してくれるかもしれません。しかし、この味覚の記憶のことを思い返してみると、そんなに単純なことではないかもしれないと思うようになりました。
完全食の認知がもっと拡がって身近な存在になった時に、当時の僕の様に食事ができなくなった人が「完全食を食べればいいじゃない」と言われても、おそらく「味覚の記憶」に苦しむことになるからです。
それでも、過去の僕は味覚の記憶が残っていたからこそ「もう一度食事をしたい」という強い気持ちをもって困難に立ち向かい、長いリハビリ期間を乗り越えることができました。
ウォーレン・ヘイスティングスをはじめとするイギリス人達は、「あの辛い料理がまた食べたい」という強い気持ちを持って、カレー粉の開発という社会的インパクトの大きいイノベーションを促進させました。
発展するテクノロジーは私たちの問題解決を手助けはしてくれますが、根本的な問題に立ち向かっていくのは、あくまでも「味覚の記憶」のように特殊な感情を持った人間なのかもしれません。