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あまり小説が読めなかった2024年

2024年は今までになく本が読めなかったと思っていたけど、それでも10冊以上は読んでいたようだった。しかし大概がビジネス書で、しかも会社の上司から読むように言われたものだったから、「読書」というより「仕事」と思っていた感じがある。

読書をするからには「自由」でありたいと思っている。「自由」に本を選んで「自由」に読み進め、「自由」に解釈をする。だからなのか、読めと言われてビジネス書を読んだが、あまり読書をした気にならなかったようだ。

とはいえ、自発的に読んだビジネス書もあって、それらは読んで満たされた気持ちになった。ドラッカーの『マネジメント』もようやく読むことができたし、ジムコリンズの『ビジョナリーカンパニー』もずっと読みたかったもので、やっと読むことができた。どちらも大きな学びを得た本であり満足できている。

だがしかし、やっぱり小説を読んでおきたかったなぁ、という気持ちが強い。ドラッカーもジムコリンズも、これらを読んでいる時は仕事のことを考えているわけで、誰かの人生の物語をなぞるような小説を読む時間が乏しかったのは残念に思う。

とはいえ、棚卸しをしてみたら、2024年も2冊だけ小説を読んでいたようだった。

1冊目はラーラ・プレスコットの『あの本は読まれているか』。

共産圏で禁書となった『ドクトルジバゴ』を巡る、CIAのタイピスト女性たちの話で、東西冷戦下の物語が「東」と「西」に分かれ交互に描かれていく。

「西」は本作の主役であるロシア生まれのイリーナとタイピストたちの話で、「東」は『ドクトルジバゴ』の著者である作家パステルナークとその愛人オリガの話が書かれている。

この「西」と「東」が交互に描かれるストーリーを追いながら、だんだんとそれらが交錯していき繋がっていく様が見事で非常に感動的な作品だった。

ちなみに当時のソ連の時代背景や『ドクトルジバゴ』への予備知識がないまま読み始めたけど充分に楽しむことができたので、誰でも気軽に読める一冊だと思う。

もう一冊は『二流小説家』。随分前に出版され、常に文庫コーナーで置かれていた小説で気にはなっていたけど読んでいない本だった。それをここにきて読んでみたのである。

冴えない暮らしを送っている小説家であるハリー(主にポルノ系の物語ばかり執筆している)の下に手紙が届く。それは死刑判決を受けている残忍な殺人鬼のダリアン・クレイからハリーへの執筆の依頼だった。

この依頼を受けて出版にこぎつければ、作家として成功するのは間違いなしだが、いかんせん相手は殺人鬼であり、その殺人鬼との面会も必要になる。そのうえで条件まで突き付けられたハリーのもとに様々な事件が起こり、といったストーリーの小説だ。

ミステリ小説としての展開以上に、主人公ハリーの冴えない私生活と性格が人間味に溢れており、他の登場人物との関係から紡ぎだされる彼の人生観が終始魅力的だった。ミステリ小説の面白いところは、事件そのものだけでなく、こういった人間ドラマにあると思う。

こうして振り返ると、やはり小説を読むという行為は貴重だった痛感する。もっとたくさん読んで自分の価値観のなかに他者の物語をインストールし続けたい。

きっと来年も忙しさゆえにあまり小説は読めないと思う。その状況を変えるか(転職したり)それでも小説を読んでみるか、どうできるかはわからないけど、本が読めない人生を何とかしないとなぁと年末になってあらためて思っている。

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