やりたいことが何かがわからないひとへ
大学生インターンと仕事をしていると、良く質問されます。
「自分がやりたいことが何かわからない」と
そんなことに対する問答について今日は書いてみたいと思います。
何がやりたいか分からない?全く僕も一緒一緒ぉ!!
そうなんです。残念ながら僕も全く分からないんです。
だから何か動機を彼らに教えてあげたいんだけど、無いものはない。今だに無い。振り返ってもあった試しがない。もうただ、迷ってる時間もなくてボロボロ過ぎてやるしかなかった。
何がやりたいか全くわからないし選択の余地もないから、とりあえず、「頼まれごとは頼まれごと」を適当に回答していたら、「あれやれこれやれ」言われてきた。
とりあえず、「頼まれてるから出来んくても怒られない」と思って無限に受けてたら、案外出来てしまった。
これが正直な感想です。
「これをやろうって思って」ってのは全くない。むしろ、「全くやりたいことがない」これが正解です。
特別だと思わないで、否定もしないで
達人になる方法は、達人になったらわかる
これはバガボンドという漫画の中に出てくる言葉です。
「さんよーさんは特別だから」
「もともと出来るから」
「環境があるから」
と言われることが多いです。
ただ、もともとはただの家族経営の会社のナンバー2です。なんもなかった。
そしてよく決めつけられる「否定」
いや、「全くやりたいこと無いし暇です。」って真面目に回答してるのに、「そんなわけはない」と。
なんの会話やねん。と思うんですよ。
事業再生も、人から頼まれて始めたし、会社の経営も、「自分じゃどうもならん」って言うから引き受けてるし、補助金も書けないって言ってるから手伝ってるだけ。
スタートアップも、「助けてー」って言ってきたから、いいよって手伝っているだけ。手伝ってお金にするぞー!!って言うんだったら、やっぱりどれもこれも顧客が貧乏なので、もっとリッチな顧客相手したほうがいいですよねって本当に心の底から思います。
やりたいことって考えて出るものではないのでは
嬉しいって思うときには、きっと誰か相手がいて、「嬉しいと思っている誰かを見たとき」とか、「自分の貢献によって何か喜んでもらえた」時に生まれるのではないかって思います。その相手が自分なのかもしれないし、他人かもしれないですね。
だから誰かを喜ばせることが僕はマイナスではないって考えています。
もちろん、人に貢献して喜んでるなんて事は半分本当で半分嘘のようには思っています。けど、多分本当だろうなって思っています。半分本当。それでもいいんじゃないかと。
嬉しいって思えることはきっと、嬉しいので、「じゃあ一体どうやったら嬉しいって思えるか。誰かに喜んでもらえるのかな」って考えたときに、やっぱり僕としては、「誰かが困っている事」を、「僕が解決してあげる」ことが一番いいのかなって思います。
助かるかどうか
僕は子供がいないし、兄弟の子供のおむつを替えたことがありません。
僕が誰かの子供を「10分だけみといて」って言われて泣き出したり、おむつを替えなきゃいけないときに「やっときますよー」って言ってもらえたら、すごく助かるって思います。
富士山のてっぺんでのどがカラカラの時と、自宅にいるときの水の価値もありがたみも全然違いますよね。
僕はだから、「人が困っていること」をお手伝いしてあげる。頼まれたことに対して、その困ってる人が出来なくて僕が得意な事をしてあげる事で、「相手が喜んで」、それを見た「僕が喜ぶ」、それによる「報酬をいただいて僕が喜ぶ」ことになるんだと思っています。
で、それが「やりたいことかどうかはしらんけど、まあ、やってたら喜んでくれるんだからそれだけで別にいいっけかって思える」ものなんじゃないかなあって思います。そして
「事業再生ってやっぱりだめ経営者が多いから、喜んでもらえるどころか陰口ばっかり叩かれる仕事なんて嫌だわ」って思ったら辞めたらいいし、「こんな仕事やっぱり誰もしないじゃろから陰口叩かれるけどさらにきわめていくぜ!」って思えたらそれでいいのではなかろうか。と思います。
やりたいことが見つかったからやってるわけじゃなくて、やりたいことなんてなんもないけど、誰かがやってほしい事がそれっぽいからまあそれでいいんじゃないすか、くらいで動いています
もともとやりたいことなんて必要ない
やりたいことが無いから今動くことがない、は、
やりたいことがあったら動けるとは違う気がします。
やりたいことが無いから動いてないという事実が、やりたいことが無いけどめちゃくちゃ動いている人の存在を否定するものではなさそうですよね。
やりたいことが無い事に困ってる事にしてやらないだけなんです。
もともとそんなものがある人が崇高な信念で何かをやってるかというと、僕の知り合いの上級資格を持っている人が、何千時間も仕事や学校の追加で勉強できた理由は
・もてたい
・仕事が出来ないのがばれないための隠れ蓑としての資格受験
・振られたから何かしなきゃ
・何かしてるツラしたいだけ
こんな感じです。
どちらかというと前向きなエンジンがあるわけではなくて、ネガティブなものの方がエネルギーが強いのでは、と思います。
だから、ポジなエネルギーで何かを動かす必要はそもそもないのではないかと思います。
モチベーションのエンジンが必要かについて
僕はもう、やりたい、もないし、やめたい、もありません。
ネガティブなエネルギーも存在していません。そしてポジティブも
お仕事もたくさんいただけてますし、もう何年もやってるから、受注した開発も、納品しようって思ったら、「どっかの誰かでやったことある仕事」がすごく多くて、パラメータ変更だけで納品出来る事が増えてきました。しかも前より高額で・・・
「ああ、お困りなんですね。前にやったことありますよ」
「専門家の先生、是非お願いします」
「はい、こんなんで思っておられる機能満たしてますか?」
こんな感じです。
前ほど情熱は無いし、チャレンジングでもありません。
ただまあフラットに
「困ってたのが解決してよかったなあ」とは思います。
「前より楽でこりゃおいしいなあ」とも単純に思います。
ただ、今回の記事に興味があって読み進めていただいている方の「期待しているそれ」とは全く違う気がします。
そらあ、「コロナ禍で、これはお役立ち時だ!って思って一念発起して事業再生の道に入ってですねえ」というピッチをしてくださいって言われたら僕はできるとは思います。でも、それは「余所行き」です。
本心としては、頼まれた事で困ってるのをさせてもらうのはまあ、地球にとっていいことだなあ。程度です。
やりたいことがあるから続く、と
やりたいことがないかで踏み出せない、とは別に
やりたいことがあるけど何も踏み出せないもあるし、
やりたいことが無いけどめちゃくちゃ動く。もあるんです。すなわち
やりたいこととかどうでもいいから、結局動くかどうかだけで結果が異なるという事ではないかと思うんです。
国道を走る車を眺めていて
国道を走る車や、デパートの椅子に座って人間を観察していると思います
・同じ24時間
・似たような身体能力
・違いはあるにせよ同じようなスタートライン
・同じ国
そうであるにもかかわらず、なぜ、年収100万円以下~5000万円まで差が開くんでしょう。
それは、色々なことが考えられると思います。でも、自分自身とほぼほぼ同じ条件だった人が居たとして、その人はめちゃくちゃ豊かに暮らしていて、自分がしょんぼりしていたとしたら?
それも色々考えられると思います。しかし、10年前にタイムスリップ出来るとして、「頑張った私」が別に存在して、その私が今の私と全然違ったとしたら???
結局、やりたいかどうかとかなんとかとか関係なくぼくは思うんです。
「一日一日の時間の使い方にすぎない」と
オンデーズの田中さんのウサインボルトについてしゃべっている動画を検索してください。僕は本当に素晴らしい話だなって思います。
ウサインボルトが世界一だけど9秒くらい、僕が15秒くらい。なんのトレーニングもしてない僕と2倍の差もつかない。
得意なことに動いたら誰でも成功できるよねって思えます。
王道以外は全部邪道
僕はコンサルです。しかも、再生コンサルという、結構厳しい環境が多いです。そんな僕にとっては、「王道」は非常に大切。
なぜなら、今手伝ってるスタートアップもそうですが、営業をしていて受注も順調ですが、僕が不在となったら一気に再現性が損なわれるとしたらそれってただの「小善大悪」だと思うんです。小さな親切大きなお世話。やはり、携わり方が変化してもしっかりとその会社で実現できるように指導までしなければならないと思うんですよね。
再生も同じで、関わった後、去ったあとでボロボロになったら、「さんよーさんがぼろくそにした」って言われるんです。非常にかわいそうな仕事ですね(笑
ですから、「王道」を大切にして、本を見たら載ってるような当たり前のこと。ISO、工程管理、受注管理、人と人との関係などを大切にしています。
成長も同様です。
前の章の通り、24時間の使い方でもしも人生が変化するというものであれば、どのようにしたら自分のありたい未来が手に入っていて、数年後にその道を歩いていられるか?といえば、王道しかないんです。
地味だけど大切な、仕事や生活を除いた時間の「使い方」。案外時間って少ないです。仕事や学校、私生活、食事やお風呂の時間などを引き算したら、24時間じゃ足りない人が多いです。
大人は読書の時間が平均一日6分らしいですね。
そんなもんだと思います。
そんな時間で何かが変化するとは思いませんし、他が平均6分だと僕は「日本に生まれてラッキー」と思います。
平均6分の読書で、「先進国から置いてきぼり」とか言われたら、「6分だからだよ」って思います。120分読んだら????多分何かは変化しそうですよね。
やりたいこととかやりたくないこととか、これまでの自分史の背景とか出自とかそんなもん置いといて、何をするかって、過去の成功した人らのやってきたことで、自分に再現性のあることを、信じてとりあえずあまりごちゃごちゃ考えずにやるだけなのではないかと思います。
自動車と飛行機の話
自動車も眺めていて思います。
止まっている間って、下に重力がかかっていますよね。
動き出した途端、ものすごいブレーキなんですよ。ガソリン爆発させないとすぐ止まろうとする。
これが人生と全く同じと思います。
何もしていないうちは誰も何も言わないのに、動こうとしたら途端に
「そんなんやって意味あるんか」「会社はそれに報いてくれるんか」「どれ、どれくらい上達したかテストしてやろう」
お前何様だよ。って輩が何人も出てきます。
僕にも大量に出ました。いまだに出てきます。少し性質を変えて
「お前はやれるって思ってた」
「もっと上目指して上り詰めろ」
「お前のこと褒めといてやったぞ」
いやほんまに自分自身の人生だけ見つめといてくれやって思うプレーヤーがたくさん登場します。まあありがたい事とは思いつつも、少々のメンタルだったら技かけられまくりやんけって思います。
飛行機も同様でフォードの言葉が大好きです(このnoteにもなんども引用してます)
「飛行機が飛ぶのは、猛烈な抵抗によるものだ」
あの形状から、前に向かう推進力によって浮かぶんですよね。
そうなんです。自動車も飛行機もそして人間も、抵抗によって前に進むんです。
動き出したことによって抵抗が発生するんです。
傷つかないためには何もしない方がいいということわざもあります。
やらない理由とやらないことによるインセンティブがありすぎる日本
というわけで、少々のエンジンではスタートしてもすぐにしょぼしょぼになってしまうんですね。
だから、始める前に助走して色々な言い訳や周囲への宣言など、やればやるほど、動き出した瞬間に抵抗に変わります。
「頑張って」や「応援してる」
フェイスブックやnoteのポジティブなコメントがどれほど抵抗に変化していくか。僕は酸いほど体験しています。
やらないことによるインセンティブがありすぎて結果、ほとんどの人がやらなきゃいけないとわかっててやってないんではないかと思うんです。
やってる人も冒頭の通り、ネガティブ、それもトラウマ級のものがあってやってるんです。
で、結論
やるかやらんか
ものすごく色々言っておいてとんでもない結論ですが、やるかやらんかしかないです。
よくわからない理由を引用して、モチベーションが下がったことによるインセンティブを得ようとします。
頑張って受賞したのに褒めてくれん、とか
陰口言われてる、とか
褒めてくれたけどそれだけかよ、とか
まあ、あんな言われたとか報いてもらえないとか足りないとかなんちゃらかんちゃら
え。褒めてもらいたくてやったんだっけ?
都度、何か態度やお言葉が無かったら不合格ってそんな決まりいつ作られたんだっけ?
そう思うんですよね。自分自身もそのバグはめちゃくちゃあります。
だから
「やる」
それだけでいいのではないか。と。
そこに理由とか報酬とか羨望とかなんとかとか、そんなんはいいんじゃないかなあって思います。
パチンコの話
この話も僕はよくやります。
「ああ、成長しよう」って思って自己啓発の本を読みます。
しかしそのときにも今から書くパチンコ雑誌の2つのエピソードを考えてみてください。パチンコ・競馬のプロに聞いた話で僕はもっとも大切にしている教えです。
1.パチンコ雑誌のライターはパチンコで食えない人
パチプロって、日当が1-5万だと思います。毎日通えば、バレなければ非課税で1000万の手取りになったりします。パチンコ雑誌のライター(記者)は、新機種や特集の際には、台もお店も選べません。もちろん、パチンコ屋は台を選ばずに打てば負ける仕組みになっています。しかも、終日粘るのがプロのセオリー。記事書いたり色々やってたら、毎日なんていけないですよね。
そう、ライターは、「詳しくてきちんと負けてる人」なんですよね。経営者にも多いですよね。経営に詳しくて連続赤字を作るのが上手な人。おっとただの悪口ですね。
2.釘を見ろ
勝つために必要なのは、釘を見る事です。見れなくても、1000円あたりの回転数が大事。これはパチンコの本にはだいたい書いてあります。「ボーダーライン」というやつですね。
そして重要なのは、
A.全員が「勝ちたいって思って行っている」そして
B.「誰も釘を見てない」
という事ですね。びっくりするくらいみんな見ない。見て座っても、見てるだけ。
プロの友人は言います。勝てないわけない。と。
人生でも同じことじゃないですか?
なんでやらないのか?やれないのか?僕はパチンコのエピソードは本当に示唆に富んでるなあって思います。
全員がパチンコいってて、コンビニで雑誌を立ち読みしてて、結構な時間を読んでるけど、どの機種のページにも書いてある、「ボーダーライン」の表に全く注目しない。
素晴らしいビジネス書がたくさんありますよね。
「どの本がいいですか?」
良く言われます。
「古典ならどれでもいいんちゃうの」
と言います。
どの本もだいたい似たようなことが書いてあるんですよ。
どの本でも成功できるんですよ。
「そこに目がいけば」
自分が出来てなくてすぐに出来そうな事には目がいかないんです。目には入っててもフィルタかかってて頭に入らないんです。
だったら、何百冊読んでも無駄ですよね。速読しようが多読しようが、何十回読み返そうがオーディオブックであろうがセミナーだろうが個別指導だろうが監禁されてそのことしかさせられない環境にあろうが
そう。変化しない。
株式会社Zenに込めた思い
困ってる人がいて、自分が得意な事で、困ってるが解決したに変わる。
「ああ、善だなあ」
こう思って、株式会社Zenという会社を作りました。
もう一つ、漸という意味も持たせています。
「じわじわと進む」という意味の漢字です。
「じんわりと、善い事してるな~って思える」
これが僕のモチベーションのエンジンです。というか、モチベーションのエンジンなんて存在しないこの、中庸な感じです。
「なんでそこまでしてあげれるんですか」
「普通やりませんよ」
そういった言葉をかけてもらえますが、
「別にまあ、助かるゆーてるんだから、あとからお金なんてくれる人はくれるしくれない人はバックレるだろうからいいじゃんか、あと僕の財布だからあんたどっちでもええじゃろ」
と答えます。
まとめ
いかがだったでしょうか。
学生とはいつもこのような対話をしています。
「あってくれなきゃ困る、無いわけない」
モチベーションの源がなきゃあんたが困る理由は一体なんだろう。
「抵抗とはなんだろう」
「親の存在ってでかいよね」
そんな話をします。
「興味関心のある本を20冊読んで何も成長しなかったとしたらそれこそぼくは弟子入りするわ。」とも言ったりします。
この世の中には、成功するための要諦のようなものがたくさんの本に書かれています。
どんなことをやろうが何であろうが
「やれるかどうか」
これしかないです。
「わかりましたどこまでできるか知らんしやったことないけどやります」
これを続けている理由は僕にはわかりません。ただ、何かのどっかがキッカケでこうなっているだけなんだろうと思います。
そして今こうなっていることに対して僕は「ああ、ラッキーだったなあ」って思っています。それだけです。
何がやりたいか?のテーマからは遥かに脱線したようにも僕自身思いますし、あれ、うまく書けてるぞとも思います。
人生の目的が無くてフリーズしている人の中の一人のあなたにだけでも、もしか伝わればいいなあと思います。
やれるかどうかではなく、やるかどうか。それが未来では、やってきたかどうかになり、過去やってきたかどうかになるだけです。それが多ければ、「色々やれる人」に将来なるでしょうし、やるかやらんか迷ってやってなければそうなれないだけでしょう。そう思うことが出来たらやれるでしょうから、きっと色々やれる人になれるのでしょう。
結局、今からスタートしてとりあえずやってみて、やってみたことが明日、昨日やったからやろうにつながって、21日も続けばそれを「結構続いている人」って人からいわれるようになるんでしょう。始めるときのエネルギー量なんてその時関係ないです。
良ければみんなが成功して、その人とその人の周りが良くなればいいなあなんて最近ほんとうに思います。
読んでいただいてありがとうございました。