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【934球目】大学時代の思い出

=社長ラジオ【8球目】の内容です=

皆さん、お疲れ様です。三陽工業代表取締役の井上です。本日もどうぞよろしくお願いします。

今日のテーマは「大学時代の思い出」です。もう30年前の話で…30年前ですよ。大学生が30年前であるっていうことに少し驚いてます。年を取ったなとすごく思いますし、きっとこれを聞いている同世代の人たちもそう思うのかなって思うと、頑張って話をしようと改めて感じる次第ではあります。


▼佐賀大学へ進学して

大学時代の思い出って、野球の話は当然たくさんあるんですけど、頑張って野球してましたよっていうところ以外のことをお話しすると、佐賀県って実は「海苔」がたくさん取れるんですね。兵庫県もそうなんですが、今私が住んでる兵庫県と佐賀県って全国1、2位を争うような海苔の漁獲高なんですね。お寿司屋さんとかに行って、「その海苔ってどこのですか?」って聞いたら、「これ佐賀県です」とかって何回か聞いた記憶もありますし、それぐらい佐賀の海苔って有名なんですけど、野球部ととある漁協が提携をして、(提携っていうほどでもないかもしれないですけど)野球のシーズンオフ、11月の末から3月の頭までが実は綺麗にのりのシーズンなんですね。

▼漁港でアルバイト

漁師の人たちが海苔を取ってきて、それを乾燥させて、漁協の集荷場に軽トラで持ってくると。我々はそれを下ろして、その集荷場で海苔の検査員の人たちがチェックをするんです。そこで等級が決まっていくんですね。等級ごとにバラバラになっているものを詰め合わせていって、最終的に段ボールに詰めたものを運送会社が来てトラックに積み込んでいくっていうような一連の流れの中で、集荷場でアルバイトをするっていうのが我々の4年間の日常でした。

基本的に最高学年の人たちが仕切りをするんです。私も4年生の時はそれをやったんですけど、今で言うと請負職場みたいなもんですよ。佐賀大学野球部の場所みたいなのがあって、そこで人数だけ決められます。今日は何人、今日は10人、今日は8人、みたいな感じでシフトを組んでいくのですが、どうしても人数が集まらない時があるんですね。

私もその経験があります。なんとかならんかって言われたこともあるし、なんとかしてくれへんかって言ったこともあるし。

私、経済学部だったんで、経済学部は恰好のターゲットなんです。教育学部とか理工学部っていうのは基本的に出席をした上で、実習だったり研究だったりっていうのを基本的には問われるわけなんですけど、経済学部の場合は、レポート一発とか出席を取られる授業っていうのは比較的少ないんですね。なので、どうしても人が足りないときは経済学部の人が優先して、その海苔のバイトに駆り出されるというのが日常でした。

▼主体性と当事者意識

そんなことをやりながら4年間過ごしてきたわけなんですけれども…。主体性と当事者意識って大事だよねって今ずっと言い続けてるんですけど、多分自分自身でその主体性とか当事者意識をもろに意識したのは、この大学の時なんじゃないかなと思います。

野球に関してもそうですし、勉強に関してもそうです。大学生これみんなが感じることかもしれないですけど、授業に行く行かない自分で決められます。嫌なら行かなくていい。ただ単位が取れるか取れないかっていうのもそこに連動してくる。出席が必要な授業に行かなければ、もちろん単位が取れないわけですよ。

当たり前の話ですけど、そこをしっかりと見極めた上で効率よくやるっていうのは、それはもう個人の自由ですから、出席を取らない授業でも一生懸命出席をしていくっていうのもありでしょうし、そうじゃなくて人からノートを借りるのもありでしょうし、その教授が書いている本を読み込むっていうのもありでしょう。

いろんなやり方があると思うんですけど、最終的に単位を取るという明確な成果を出さないといけないわけですから、そこに対して「自主性」と「当事者意識」を持ちながら、4年間でしっかりと卒業するっていうのはごくごく当たり前にやってましたけど、今振り返るとそれを初めてやったのがここなのかなと思います。

▼大学生活での心残り

高校生までっていうのは、いろんなことが枠にはまっています。選択授業というのも、基本的に大学生になってからなので、今の大元がすごくそこで役立っていると思います。

まあ1番をなにか1つだけあげろって言ったらこれは野球の話になってしまうんですけど、最後の試合4回、5回かな?私、キャプテンやってて、当時我々の野球部には監督がいなかったんで、キャプテン=監督なんですね。サインも出すし、選手交代もする。

最後の試合の4回、4回2-0で負けて、2-2に追いついた。その裏の守りの時にライト前ヒットを打たれて、ノーアウト一塁になった。ここでピッチャーを変えようか変えまいか…めちゃめちゃ迷ったけど、結局変えなかったんです。

結果的にそれがマイナスに出て、その試合負けてしまうわけなんですけど、もしあそこでピッチャーを変えていたらっていう後悔は今でもあります。タラレバなので、当然それはどうなるか分からない。変えていても負けているかもしれない。

でも悩んだ末に一歩踏み出すことができなかった。その一つの手を打たなかった。前に進むのかどうかっていうのは分からないんですけど、その手を切れなかった、カードを切れなかったことに対する自分自身の不甲斐なさみたいなのはずっと引っ張っています。それが「やったことがないことをやってみよう」みたいなところにも繋がっているのかもしれないし、会社がガラッと変わることができた理由なのかもしれないです。

「もう後悔はしない」っていう思いで一歩踏み出すことができたんじゃないかなとも思ってるんで、貴重ないい経験を大学時代にさせてもらったと思います。それが22歳、21歳か4年生なんで。今から27年も昔の話ですが、未だにその時の記憶映像っていうのは鮮明に思い出されます。

っていうところで、今日はこの辺で終わりたいと思います。
ご安全に!

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井上社長|三陽工業株式会社
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!