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「インサイド・ヘッド2」感想:私らしさは私が選ぶ

※インサイド・ヘッド2のネタバレを大いに含みます

映画「インサイド・ヘッド2」を見に行った。

見た直後はあまりピンと来なかった。その大きな理由は、終盤の感情たちの「ライリーらしさは私たちが決めるんじゃない」という言葉に引っかかっていたからだ。

ライリーらしさは感情たちが決めるんじゃない、それが本当なのだったら、今まで感情たちがライリーを操作していたのはどういうことだったんだ……? 「ここで泣こう!」「怒ってやれ!」みたいに言っていたのに……。

そんなふうにはじめは疑問が浮かんでいたけれど、何度も思い返して考えてみると、ヨロコビたちは操作していたのではなく、単に指令を出していただけだ。(よく考えてみれば、あの場所も「指令部」と呼ばれていたような)

どんな感情が湧き上がる中でも、最終的に行動を選ぶのはライリー自身だ。例えば、シンパイにコーチのメモを見るように指令されたライリーが、一度は踏みとどまるシーン。まさに、「感情に突き動かされながらも、それに流されずに行動した」部分だった。行動を積み重ねて自分らしさをつくっていくのは、感情ではなくライリー自身なのだ。

そうなるとあの、感情たちが思い出の取捨選択や指令をやめるあのシーンは、「幼い頃は感情に振り回されていたのが、大人になってからはそうではなくなる」という描写なのかもしれないと思った。人はさまざまなことを経験して、「感情=自分自身」という状況から脱していくことができる
悲しくても泣くのを我慢したり、恥ずかしくても勇気を出して誰かに話しかけたり。
感情を受け止めて、そこからどういう行動に移すかを選ぶことができる。そうやって、「自分らしさ」を作っていける。それが成熟するということかもしれない。

最後の場面で「ライリーにヨロコビが呼ばれている」というのは、「ホッケーを友だちと出来る喜びを思う存分感じながらプレイしたい」という、新しいライリーらしさが現れた選択・判断なのではないか。

前向きになろうとしすぎて、苦い思い出から目を背けたり、複雑な環境に対応するために感情を抑圧してしまったり……。
それでもその先で、自分の過去の行動や感情を受け止めて、「私はいい人」「私は全然ダメ」の両極端ではない、自分らしさを認めていく、素敵な物語だった。

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