
「大丈夫」ということにとらわれない
おはようございます、さんくです。
僕もよく人にいう言葉、「大丈夫やって」「心配ないって」。
時には自分に言い聞かすように、「俺は強い、大丈夫、大丈夫、問題ない」。
僕は17年ほどブラック企業に勤めてましたが、ほんとうにキツイ時、毎日のように心で唱えてたのを思い出しましたw
もっともっと遡ればいつだろう?小学生、中学生の多感な時かな、みんなの前で倒れたり吐いたりしないようビクビクしてた時期もありましたw(僕だけ?)
修学旅行の長距離バス移動の時なんて分かりやすい。6年間で1回しかない◯にたくなるほど楽しみにしてた修学旅行のはずなのに、行き帰りのバスで「酔わないか」が最大のテーマになってる。
僕はもともと乗り物酔いもしなければ、胃腸も丈夫なほう。気持ちが悪くなるのであれば、確実に心からくるものと当時からなんとなく認識できたものの、これまた考えれば考えるほど、そっちに目がいってしまうのが人間。
「気持ちが悪くならないか」でビクビクするのは当日前とバスに乗り込んでからの10分程度で、いつの間にかそんな事も忘れてるのがいつものパターン。
そして旅行が終わった後、どっかのタイミングで吐かなくてよかったと胸を撫でおろす。
この胸を撫でおろすのが実にやっかいで、大丈夫だったことを無意識に問題化してるような気がする。
つまり、これからの中学の遠足、修学旅行のバス移動もおそらく同じ悩みがつきまとう運命。
待ちに待った遠足で、バス移動の時間も楽しくてしょうがないはずなのに、いつの間にか酔わないことを目的にしてしまう。
前職の同僚に電車に乗るのが苦痛でパニックを引き起こす子がいたのですが、その子も電車で会社に着くのが目的ではなく、パニックを引き起こさず電車に乗ることが目的になってました。
言ってしまえば、その子が電車でパニックを引き起こそうが引き起こさまいが、定時の8時に会社にいてくれたらいいだけで、ここに着くまでの過程なんてどうでもいいこと。
他人が気にも留めずどうでもいいことに、自分自身は真剣に向き合い問題化して大丈夫、問題ない、ととらわれてしまう。
目的はいつでも幸せに生きることが全てで、パニックにならなかった、今日も調子がよかったってのは、ただの自分が作り上げた問題。
調子が良いのをクリアしようがしまいが、今日やるべきことはしましたかってハナシ。
目的を履き違えて、自分の調子ばかりにとらわれないようにしようと思います。
僕は3月17日までは確実に心を壊すことはありません。
確定申告です。ハッキリ言って心の問題とか精神なんちゃらとかどうでもいい。今の僕は心の問題より100倍納税の期日の方が大切です!(国を怒らせたら人生終わる!)
応援してください!