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みんな幸せになりた過ぎ

おはようございます、さんくです。

noteを書いて1ヶ月過ぎましたが、僕は鬱だの精神疾患だのそのようなことばかり書いてるので、当然おすすめに出てくる記事は同じようなものが多いです。 

そして、繋がりを持つ人も鬱や心の病で悩まれてる方が多いように思います。その方たちの記事をよく読まさせてもらうのですが、みんな幸せのハードルが半端なく高いです。いい意味でですよw

「今日も一日中家に閉じこもってた」「誰とも会いたくない」「なんのために生きてるんだろう」などの言葉が飛んでますが、きっと誰よりも「外に出たい」「色んな人とコミュニケーションを取りたい」「生きる意味を持っていたい」という裏返しと思ってます。

よく言えば真面目。言葉を選ばず言うと、幸せのハードルが誰よりも高い。

やっぱり常に幸せでないとダメなものなんですかね?落ち込んだり悩んだりする時間は一刻も早く排除して平常でいないと気が済まないものなのか。

一応言っとくと、僕は鬱や精神疾患に無知なものではありません。なんせ、一番身近な父親が鬱で15年苦しんでるのを誰よりも近くで見てきたので。

僕も遺伝なのか、その気があるにはあるのですが、幸い母親が超がつくほど楽観的で何も考えてない人間なので(言いすぎ!)、ちょうどバランスよくどちらの気持ちも分かるポジションではありますw

父親は入院してずっと自分を責め、家族に負い目みたいなものを感じてましたが、本当は誰よりも仕事をバリバリにして、家族を幸せにしたかったのでしょう。

すごく分かるし、心から尊敬するし、本当にありがたいことだけど、母親や僕ら兄弟からすれば、「そんな家族を幸せにする気持ちなんてええから、自分の体だけ治してや」とずっと思ってました。

僕らはもう大学生で自分のことは自分でやるし、母親も僕らに「もう早う治して、とっとと会社行ってほしいわ」とずっと言ってましたw(もちろんちゃんと心配はしてましたが)

noteで苦しい日常を書かれてる方の気持ちはすごく伝わります。本当に苦しくて辛くて、もう辞めたいと思う気持ちもあるかもしれません。

その人たちの吐く言葉はいつも「動けない」「怖い」「もう嫌」ですが、本当は言葉の根底にある「動きたい」「明るくなりたい」「最高でいたい」と言ってるようにも思います。

そもそもネガティブな感情が湧くってのは、理想の自分とズレが出た時に出るもので、理想のラインが高いほどショックがあり、立ち直りがきかなくるんではないかと思ってます。

今苦しんでる方や日常に疲れてる方は、誰よりも自分の人生にしっかり向き合ってる人、誰よりも幸せを大事にされてる方なんだと思います。

もちろん、うつ病や精神疾患は心をコントロールすれば治るなんて一切思ってません。

身近な家族が苦しんでるのを見て、あれは本当の病気だと思いました。心臓病やインフルエンザ、風邪と同じように誰にでもかかる病気です。

マインドを変えたところで良くなることなんてほとんどありません。

それを理解した上で言わせてもらいますが、やっぱり、みんな幸せになりた過ぎです。それはそれで最高ですがw

幸せの基準をより高くする設定、不幸なことにアンテナを張り、小さなことでも過剰に反応して応戦する心。基準値が高い分乗りこえた時はきっと最高なのでしょう。

しかし、あまりにもしんどくなった時は、普通がそこそこ幸せというラインに下げて、ゆっくり歩いてもいいと思います。

そこそこな幸せを積み上げれば、今後ふり返ったとき、実は一番大きな幸せだったとなるかもしれません。

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