
もう駄目だとも思えないくらい憂うつなとき
おはようございます、さんくです。
とうとうやってまいりました、連休明けの日。正月に実家に訪れた時の、あの安心感はどこに行ったのか。
妻の両親にええとこの料理店に連れてもらって、あの時流れた優雅な時間はどこに。
朝、時計を見て、とっくに出社時間は過ぎており、全身血の気が引いた1秒後に、「今日は、休みやった」っていう、あの安堵感が恋しくて死にそう。
正月休みが楽しすぎて、思い出が強すぎて、新春セールのお店の店員さんや隣にいたお客さんの顔まで覚えてる。
で、今の気持ちは、どうだ?
そんな休みのことが頭に浮かんできても、すぐにかき消したいくらい何も考えたくない、何も考えられない。
とにかく何も考えたくないないし、何も思い出したくない。
いいのか悪いのか、こんなに憂うつで仕方ないのに、会社に向かうくらいの力は、かろうじてある。
だから、死ぬほどブルーで、会社に行っても、誰とも話せるメンタルじゃないのに、「あけまして〜、今年も〜」を一人ずつ永遠に言わないといけない。
これ、2年前までの15年働いてたブラック企業での年始めルーティンですw
よくまあ、毎年毎年、あんなブルーで憂うつになりながらも会社に行けてたなと思います。
年始めの会社の玄関をくぐったとき、必ず、今年こそは絶対ブラックから逃げる、そして独立すると決心します。
しかし、いざ仕事が始まれば、そんなものは一瞬でかき消されるくらい、タスクに追われ、上司に追われ、数字に追われ、憂うつに浸る時間もないくらい常に何かに追い込まれる。
普通の人みたいに、1日8時間働けば、「あ〜、やっと初日終わったーー」とならず、あと6時間、上司からあーでもないこーでもないと言われ、メンバーの世話をして、そして自分の仕事も処理しないといけない。
病んでるのか、忙しすぎて病んでると感じるヒマがないのか、それとも、だいたい連休明けのメンタルなんて、みんなこんなものなのか、ずっと分からず15年経ちましたが、ブラックを辞めた今思うこと。
絶対にオカシイ!!
おかしいと言うのは、会社の労働環境や上司事とかではなく、自分がずっと我慢してたこと。
本当にシンドい時って、どんな本を読んでも効かないし、どんなに自分の在り方の最適解を探しても、全く答えは出てこない。
結局、我慢して、これを乗り越えれば、また新しい景色が見えるハズと思うけど、悪環境の中で乗り越えたって、何の意味もない。
悪環境は、結局、自分の選択が作ってるわけで、自分で大きな壁を立てて、自分でそれを乗り越えようとしてるだけ。ドMもいいところ。
壁を乗り越えたり、自分に勝つというのは、自分の好きなこと、自分のやりたい枠でないと、何の意味もないと本当に思います。
連休明けなどの憂うつで仕方ない時は、今の自分を見る、自分は、やりたいことをやってるか、自分の進みたいゴールに向かってるかを考える、最大のチャンスの時間。
幸せの定義を考える時間といっても、いいかもしれない。
ただただ憂うつなだけだったら、それはめちゃ危険。
仕事初めで、ゆっくり一歩ずつ行こうや!と言われて、「それができねーんだよ」と心で感じた人は、自分探しの旅のはじまりです。
僕は、今日の朝、子どもと「アーパツ、アパツ」のゲームをしました。