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ヘコむことにヘコむのは、さすがにセンスない

おはようございます、さんくです。

いろいろな人のnoteの記事を見てると、だいたい2つのパターンに別れてるっぽいです。

一つは、今がしんどくて辛い時期でも、それを受け入れて、しんどい!ツラい!と言いながらも前を向ける人。

たしかに本当にしんどそうだし、薬は手放せないし、病院にも通われてる。今日の調子は最悪〜、少しは行動できるようになってきた〜、など浮き沈みはありそうだけど、自己肯定感は強いし、一歩ずつ前に進んでる。

そして、僕ごときがもったいな〜と思うのも強縮ですが、でも、言葉を選ばず言うと、もったいなと思う人は、ヘコむことにも落ち込む人。

一つの向き合う問題があって、苦しんだり悩んだりするのは、それはそれでしょうがないけど、わざわざ問題をマシマシにして、一つの問題でヘコみ、さらにヘコんでる自分がダメ、情けない!とヘコみ、まさにダブルパンチ。

これはこれで問題です。

一気に二つのことができてそうで器用っちゃ器用ですが、これは全くいらないもの。

体が動かない、心も上がらない、おかげで今日は何もできなかった。

この何もできなかった、1日をムダにしたという思考が一切いらない。

仕事をしてれば1日を費やすように、USJに遊びに行ったら丸1日費やすように、悩みヘコみ心が言うことをきかないと葛藤するのも、一つの時間の費やしかた。

仕事や遊びに行ったりすることは、時間をムダにしたと思わないのに、なんで悩みや辛いことで体が動かなかった日は無駄と思うんだろう。

僕は、noteで1万回は言いましたが、ヘコんで悩んで辛い時期はあるかもしれないけど、必ず上がるターンがくる!と言いました。(エラソーに!)

無駄な時間なんてなく、今、体が動かないのも、次にくる上がるターンのフリと思ってます。

山の頂上を目指すしんどい時間。途中、絶壁の岩があって、氾濫した川を渡らないといけない時があって、それでも目指す方向をずっと見据えて、せっせと歩く。

この時間が無駄とはとうてい思えないし、頂上を目指さないといけない状況に悲観することもない。

もう苦しい状況なのは変わりないんだから、時間をふんだんに使って、時には休憩し、歩けるなら一歩ずつ前に進んで、経験値をためながら進んでく。

noteや日記で、もう無理!とか消えたい、とか絶対、アカン!誰得?って感じ。

共感できる人と繋がるだろうけど、その内々のコミュニティーから、いいものが生まれるなんて想像できない。

書くなら、パソコンのメモ帳やリアルの日記帳だけにして、発信はなし。負が負を生みそうでイヤなんですよね。

キレイごとをダラダラ述べましたが、キレイごとを書いてる方が圧倒的に楽なので、これからも書き続けます。

今、書いてて思ったけど、登山はじめてみようかな。心にも体にもめっちゃ良さそうw



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