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歴史的事項おさらいの回

2022年7月31日、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第29話「ままならぬ玉」が放送されました。

今回は「首桶」から始まりました。
それも5つ。

おそらく、梶原景時本人、嫡男・景季、次男・景高、三男・景茂までは推測できるのですが、あと1つは誰の首なんでしょ?

今回は歴史的事項おさらいの回でした。
振り返っていきます。

和田義盛、侍所別当に返り咲き

ドラマ本編に入り、評定の場から始まりました

大江広元「それでは……はじめましょうか」
北条時政「太郎……戻ってこい」
和田義盛「ここ、侍所別当の座」
時政「さみしいだろ」
義盛「さみしいって……」

『鎌倉殿の13人』第28話「ままならぬ玉」5:17あたりから

ドラマでは和田義盛(演:横田栄司)侍所別当の座に「復職」しています。

梶原景時(演:中村獅童)が討たれたのは1月20日。和田義盛の侍所別当復職は2月5日なので、アバンでの首桶のシーンから15日程度が経過していることになります。

二月五日、和田義盛が、侍所別当に返り咲きました。義盛は、治承四年にこの職に任命されたのですが、建久三年に梶原景時が「一日だけでよいから名前だけでも貸してくれないか」と望みました。当時の和田義盛は喪に服して謹慎しなけりゃならないことがあったので、それを理由に景時が別当に任命されました。しかし景時は、策謀を弄して、討たれるまでこの職についていました。景時は、元は侍所の所司(副長官)でした。

『吾妻鏡』正治二年二月五日

三浦義澄、安達盛長の死

先のエントリーでも申し上げましたが、今回のお話の中で梶原景時の変後、幕府宿老の中でも主要人物であった三浦義澄(演:佐藤B作)、安達盛長(演:野添義弘)が亡くなりました。

相模三浦氏は初代・三浦為通が前九年の役(源頼義と陸奥安倍氏との戦い)で軍功を上げ、相模国三浦郷を恩賞として与えられたことが始まりとされている相模の有力な豪族でした。

嫡男の義村は源範頼軍に加わって平家追討軍の一員として軍功を挙げており、義澄亡き後も三浦一族の将来について、不安要素は一切なかったと言っていいでしょう。

ただ、ここで和田義盛との関係を改めて整理しておかないと下記のセリフの意味がわからないかと思います。

三浦義村「先のことはどうかお任せください」
和田義盛「三浦の一族は俺が守ってみせます」

『鎌倉殿の13人』第28話「ままならぬ玉」5:58あたりから

三浦義澄は、先代・三浦義明(石橋山の合戦に三浦氏が間に合わなかった原因となった衣笠城の戦いで討死)の次男です。よって上に兄がいました。

兄の名前は杉本義宗といい、三浦氏の勢力を広げるため、衣笠城とは別に相模国鎌倉郡杉本郷に拠点・杉本城(神奈川県鎌倉市二階堂)を築いてそこに拠っていました。

1163年(長寛元年)、義宗は海を渡って安房に進出し、そこで長狭常伴(安房で頼朝の命を狙った武士/演:黒澤光司)と戦闘になって討死したと伝わっています。

この義宗の嫡男が和田義盛です。
従って、三浦氏の嫡流は義盛の血統になります。

しかし当時の義盛はまだ17歳。相模三浦氏の棟梁を張るのは相当に厳しかったと推測されます。そこで当時40歳だった義明次男・義澄が三浦氏の家督を継ぐことになりました。

ここで三浦氏は本来の嫡流と実質の嫡流が別れたのです。これが後の和田合戦の1つの原因ではないかと私は思っています。

安達盛長の妻は、頼朝の乳母である比企尼(演:草笛光子)と比企掃部允の間に生まれた娘・丹後内侍です。内侍は二条院の女房であり、京の世情に詳しい存在でした。

盛長は比企尼の依頼で頼朝に仕え、伊豆に下向します。
しかし、内侍の縁で京での頼朝の味方(下記)を得ることができました。

・藤原邦通(判官代)
盛長の推挙によって頼朝の味方となる。山木館襲撃の際は山木館に潜入して絵図面を作った。その後も頼朝の右筆となる。

・三善康信(屑入道/演:小林隆)
母が丹後内侍の妹。伊豆にいた頼朝に京の事情をセッセと送る。
後に鎌倉に下向し、問注所執事に就任。13人の1人。

盛長は義時がかつて言ったように「誰よりも長く鎌倉殿に仕え、誰よりも鎌倉殿への忠義厚い人物」でした。

頼朝の死後、13人の1人となり、さらに三河国の守護職を務めていたことが『吾妻鏡』に記録されています。

一方で、安達景盛は盛長の子ではありますが、治承・寿永の乱(源平合戦)では主だった軍功がありません。それどころか鎌倉殿・源頼家(演:金子大地)に妾を奪われて族滅させられるところでしたので、頼家との関係もうまくいっているとは言えなかったでしょう。

ところが前のエントリーでも書きましたが、安達景盛はこの後、鎌倉幕府の中で起きる数々の内部抗争ならびに承久の乱、そしてドラマでは描かれないであろう法治合戦において、重要なファクターを演じることになります。

北条時政、国司に任ぜられる。

1200年(正治二年)4月1日、北条時政は遠江守に任じぜられました。

四月九日 北条時政殿が、先日の一日(すなわち4月1日)に遠江守に任ぜられ、従五位下の位階を与えられました。その辞令が今日、鎌倉に届いたとのことです。

『吾妻鏡』正治二年四月九日

頼朝の時代、御家人は頼朝の許可なく国司になってはならないというルールがありました。これは朝廷が御家人に官職を与えられると、幕府の正当性と権威が損なわれるリスクがあったためです。

そのため、時政の遠江守任官は当時としてはかなり異例のことでした。

この時、すでに13人の合議制はすでに破綻していて、なおかつ比企能員は頼家の乳母父であった立場を利用して、後見人に近いポジションを持っていたと推測されます。

すなわち御家人間で比企派、非比企派的な派閥が生じかねない状況であったのではないかと。

その比企派を牽制することを目的に、母の実家北条氏の幕府内の家格を高めるため、頼家が朝廷に奏請したのではないかと思われます。
また、当時、時政は駿河守護であったと思われるので、遠江守は妥当ではなかったかと。

頼家の裁断

ドラマでは畠山重忠が治める陸奥国葛岡の所領問題が評定の場で議論され、そこに頼家が割って入って裁断する場が描かれました。

頼家「所領の広い狭いなど所詮運である。そもそも僧の身で欲深いとは片腹痛い」
重忠「神仏に仕える者の訴えをぞんざいに致しますと、天の怒りを買いかねません」
頼家「望むところよ。今後、所領のことはワシが調べて処断する」

『鎌倉殿の13人』第28話「ままならぬ玉」10:35あたりから

これは『吾妻鏡』にも記載のあることです。

五月二十八日、陸奥国葛岡の新熊野神社の僧侶が自分の坊が持つ領地と他の神社の領地との境界線を訴えて、双方の文書を持ち、この土地一帯の管理権をもつ畠山次郎重忠に裁断を求めてきました。

畠山重忠がこれを幕府に持ち込んだのは「当神社は、私の領地内にはありますが、藤原秀衡が管理していた時に、京都朝廷の安泰を祈祷していた社です。今は私の依頼で東国武士の繁栄を祈祷してもらっているので、私自身では裁決することはできない」と言い、三善善信を通して、頼家へ話を上げました。

今日、中将頼家様は差し出されてきた境界付近の絵図を見て、自分で筆をととり、墨でその絵図の真ん中に線を引いてしまいました。

「土地の狭い広いは、その人の運不運に任すべきもの。使いを出して調べる時間を費やす必要はない。今後の所領の境界争いは、このように結審するのように。もし、これを理を尽くしていないと思う奴がいた場合、裁判を起こすことを許さない」と言った。

『吾妻鏡』正治二年五月二十八日

ただ、この記述は地名や神社名が実在しない可能性があり、果たして本当にこのような土地争いがあったのか、そして頼家がこのように裁断したのかは疑問が残ります。

頼家、征夷大将軍へ

頼家は1202年(建仁二年)1月23日に正三位に昇叙。その半年後の7月22日、さらに従二位に昇叙し、左衛門督のまま、征夷大将軍宣下を受けます。

ここに名実ともに二代目鎌倉殿となられたのです。

ここまでの頼家の官位履歴をまとめてみるとこうなります。

1197年(建久八年)12月15日:従五位上に昇叙。右兵衛権少将に任官。
1198年(建久九年)1月13日:讃岐権介を兼任。
1199年(建久十年)1月20日:左近衛中将に転任。
1200年(正治二年)1月5日:従四位上に昇叙(左近衛中将如元)
1200年(正治二年)10月26日:左衛門督に遷任。
1202年(建仁二年)1月23日:正三位に昇叙(左衛門督如元)
1202年(建仁二年)7月23日:従二位に昇叙。征夷大将軍宣下(左衛門督如元)

Wikipedia

5年で10位も上がったことになります。
(従五位下→従五位上→正五位下→正五位上→従四位下→従四位上→正四位下→正四位上→従三位→正三位→従二位)

ちなみに頼朝は1183年(寿永二年)に従五位下に復位して、1189年(建久元年)の正二位昇叙が最後なので、6年で11位上がりました。
頼朝の場合は東国政権創成とその東国政権を朝廷や院に認めてもらうために必要な行動だったと考えられます。

頼家の場合は、16歳の小僧がその東国政権を継承する存在としての権威を位階に求めたとも言えます。

側から見て、凄まじい昇進っぷりですが、三代将軍となる実朝はもっと凄いですので、お楽しみに(汗)。

阿野全成

もはや「北条家の癌」と言っても過言ではない北条時政(演:坂東彌十郎)とりく(演:宮沢りえ)夫妻ですが、あろうことか鎌倉殿を呪詛して殺すことを全成に依頼します。

全成も義理の父に気に入られようとそれを受けてしまうあたり、なんとも世渡りの下手な人だなと思うのですが、その呪詛につかった人形(ひとがた)を1体回収し忘れて、今週それがとんでもない騒動に発展することが予想されます。

それにしても呪詛を問いただしにきた義時(演:小栗旬)に対し「私たちは関わりありません」と言い切ってしまうりくはほんとに毒婦として描かれてますね。

この後、このりく様がどうなるのか非常に興味深いです。

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