
【中学受験】ま、まさか「地元の公立中=偏差値50」なんて思っていま…いますか?
【結論】「偏差値50」発言する人は大体危ない
よく「正直偏差値50以下の学校に行かせる意味が分からない」と言う保護者がいます。中学受験の文脈において「偏差値50」あるいは「平均点」という発言を聞いた瞬間、相手の判断力を大変訝しく思います。これらを引き合いに出して受験についてどうこう言うようであれば、概ねその人は他人を不幸にするので、大きな判断は他人に任せた方が良いです。という説教。
※今回は「自分が偏差値50」ではなく「学校が偏差値50」発言についての話です。
【前提】学力の差は確実にある
まず感覚を伝えるため、語弊を負って言います。仮に「偏差値=学校の学力レベル」であると認識するとして、もし中学受験界に一校だけ地元の公立中が入った場合、偏差値は30前後くらいで表されるでしょう。逆に、公立中学校群に一校だけ偏差値50と言われる私立中学が入ったら、偏差値は300は超えると思います。
公立中学校同士の学力差は知りませんが、私立を含めた場合に比べればほぼ無いと考えてよいかと思います。みんな50です。
【理由】どこが危ない発言なのか
①そもそも「偏差値」って…。
「学校の偏差値」って何なんですか?
世の中では「学校の偏差値」という固有値を考えて、まるでレベルを表すかのように扱われていますが、正直よく分かりません。偏差値は学校ではなく、人が持っています。幅や確率を伴った値なら理解できますが、定数で表す場合の定義を見たことが一度もありません。学校を偏差値で対応させることがまず曖昧です。「偏差値」そのものは知ってるんですか?
そもそも偏差値とはどのような場合にどう算出されるか、多くの人は知らないと思います。偏差値の範囲は?40と30の違いは?と、理解していないものを用いて他人を裁量するのは危険です。そもそも偏差値という考え方からすると、特に「50」こそが最も意義の少ない数と言える気すらします。他人との比較で学校を選ぶのですね?
偏差値とは、全体の平均とどのくらい離れているかを表すものです。なんて日本人的な発想なのでしょう。SNSで他人と自分を比較して落ち込むのが馬鹿だと思う人もいるでしょう。お手々をつないで優劣を付けない徒競走に疑問を持つ人もいるでしょう。「他人より上にいること」が本当に自分にとって大事なのか、よく確認してください。学力だけで学校を選べるんですか?
いや、もちろん他人より上を目指してもよいでしょう。学校に高い教育レベルを求めることも当然です。ただし「偏差値」発言をする人は、偏差値というラベルしか見えていない人がとても多いです。ぜひ幅広く他の要素も見て検討してください。
②しかも「50」って…。
自分で何も考えていないのでは?
塾の職員や講師は、偏差値50というラインに特別な意味を感じておらず、全く話題に出ません。まだ志望校も決まっていないのに、わざわざ50というキリのよい数を選び出して話題に出す人がいたら、いかにも「みんながソバを頼んでるから自分もソバに変えよう」と最も何も考えず、かつ無責任な危険な人なのかと感じます。「偏差値58以上の学校に行かせたい」の方がまだマシです。まさか高校受験のノリで言ってます?
偏差値や平均などの統計量は、当然、母集団によっていくらでも変動します。日本人全員が同じテストを受けた場合と、中学受験を選択して塾でトレーニングしている人が受けた場合、あるいは学習塾によっても、出てくるデータはあまりにも違います。通っている塾の中で「高い水準の集団が、高い水準の試験を受けた場合の偏差値50」が、一体何を決めるのでしょうか。「偏差値49」の中学校が、高校受験だと「偏差値65」になっていた、なんてごくごく普通です。
③やっぱり、そういう人だから…
「真ん中より上が当たり前」と思っており、自分の子どもに求めるようなことを言うのは、もちろん平均より下の人達です。子どもは焦ります。学習も人間関係も全てがうまくいかず、不幸な結末へ突き進む人達を何度も見ました。また、「偏差値50」が重要だという主張を変えない人達は、おかしなことに、その自分で言っている目標50に向けた努力を全くしません。今まで一度も見たことがありません。どうしてでしょうね。
【原因と対処】なぜ偏差値に囚われる?
「よく分からないものの方がむしろ信じて疑わない」ということがよくありますね。運動よりケーキダイエットをしてみたり、野菜よりヒアルロン酸パックをしてみたり、肩書や占いや神様を信じたり。人が物事を判断する手法はいろいろありますが、よく検証せず、何となく経験的に判断する方が圧倒的に多いでしょう。つまり、数字に明るくない人ほど数字を盲信しやすいということです。「偏差値50」という言葉が大事だと思っているだけです。
と言うやいなや、「ああ分かった、ちゃんと考えればいいのね」と思うでしょうが、それこそ愚の骨頂です。どうせ「ちゃんと考える」なんてできません。
「何となく判断する」ことは悪ではなく、これも優秀な判断の方法です。ただ、あなたがそういう思考回路なのだとしたら、数字を読もうとすることがそもそも間違いです。そんなことより、学校にせよ子どもにせよ、本物と対する方が向いています。数字の判断なんか得意な人に任せた方が良いです。
【発展】なぜ間違われるのか?
さらにこの問題の発生源は…と考え進めると。そんなの、偏差値という発想そのものであり、それを濫用している業界にあることは明白です。何事も発明する人は偉いと思いますが、できればブレーキも作っておいてほしいですね。
「偏差値の生みの親・桑田昭三氏へのインタービュー」https://hosted.jalt.org/test/PDF/Kuwata-j.pdf
続編書きました
2024年2月11日
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