「平均点取れないから受験やめようかな」wwwww
以前「偏差値50」発言をする人は概ね他人を不幸にするという記事を書きました。今回は、中学受験の文脈において「平均点」がどうのこうの言う人達も、概ね誤りを押し付けるので害悪であるという話をします。
【結論】平均はそんなに万能ではない。
「みんなと同じか上であることが重要である」が正しいかはさておき、平均そのものが幅のある存在なので、個人と比べることが難しいということです。少なくとも「みんなと同じ」の「みんな」を明確にするべきです。いくつか例を示します。
事実①:必ずトップとビリがいる。
答え:なし(上位1位でも退学となる。)
灘中の生徒がいっぱいいるとしましょう。考査で90点の生徒と80点の生徒がいれば80点の生徒が下位です。60点の生徒が最下位だとしましょう。でも全人類の上位1%以内の頭脳の持ち主であることには変わりないでしょう。学習塾のテストも同じことです。平均は統計量ですから、母集団によって変動するということです。
事実②:平均は逃げていく。
答え:やはり恐喝される。(未子さんが55点を取ると、平均点は55.9点となる)
有名な「アキレスと亀」の例えの通り、「平均」を追いかけると、平均は一定の速度で動いていきます。中学入試でも、「時計の長針と短針が作る角を二等分する直線」の問題などでよく扱われます。自分自身が動くと平均も変動してしまいます。
事実③:平均は無数に存在する。
【解答】いくつか例を示します。
①A/BCDEと分ける場合→平均点は2点/37点。
②AB/CDEと分ける場合→平均点は3点/48点。
③ABC/DEと分ける場合→平均点は14点/54点。
④ABCD/Eと分ける場合→平均点は20点/70点。
このように、④の分け方をした場合が最も両グループの平均点が高くなります。高得点の少数精鋭クラスを作ると、全クラスの平均点が高くなります。極端な場合で考えると理解しやすいでしょう。
もし自分が38点のCさんだったら平均点を見るのがバカらしく思えます。このように、データ自体は全く同じでも、統計量は柔軟に変化し得ります。平均という1つの数の中に何人が入っているかによって重みが変わりますので、平均同士の単純な演算や自分との比較をしても意味がありません。
事実④:平均の近辺に7割の人がいる。
これは「そもそも論」です。正しく学力が分布するような質の良いテストの場合には「平均から平均的に離れている人」即ち偏差値40〜60の人が全体の約68%にあたります。平均が大切だと考えるのに「平均から平均的に離れている」ことが認められないとしたら、論理性が疑わしいです。
「データの扱い方」についての教育
昨今の算数・数学の指導要領では、「データの扱い方」など、数と生活との関わりについて理解を深めることに光が当てられているようです。これは私立の学校では先んじて取り入れられていたことです。以下に渋谷教育学園渋谷中の素晴らしい入試問題があります。
100人中2位でも、平均点より下かも知れない。逆も然り。
「平均に拘る人」の性格と対処について
余談です。「平均点に達さないことを責める人」ならば「他人に責任を押し付けて文句を言う人」である、という確率がかなり高く感じます。どちらも「プライドが強く、他より劣っていることが受け入れられない」あるいは「論理的な思考ができず、それらしいものを正解と主張する」という点が共通します。彼らの論理としては「自分の子には能力はあるのに結果が出ない。なぜなら先生が悪いからである」という感じです。子どもを見栄を張るための道具として見ていますから、子どもは奇行に走ることになります。
解決策としては、第三者が、当事者の「子どもの方」を変えることでしょう。これは険しい戦いですが、しかしこういう人ほど、諦めずに自分の力で新しい環境を手に入れてほしいものです。
またそのうち、「成績が上がらない」発言についてもお話しするかも知れません。
2024年5月19日