#OWV沼落ちnote 2019年9月〜2020年3月14日までの記憶
PRODUCE 101 JAPANの開催がまことしやかに囁かれていた2019年序盤。参加者募集が始まったのを知った頃の私のツイート抜粋です。この頃は、前年にPRODUCE 48に激ハマりし、デビューグループのIZ*ONEを一生懸命追いかけていました。
こんなことを言っていた私ですが、今となってはPRODUCE 101 JAPAN(日プ無印)こそが私の人生をまるっと変え、ずっと大切にしたいと思える人や物や感情に出会えたきっかけとなった番組となりました。
※こちらはいわゆる「OWV沼落ちnote」なのですが、OWVへ辿り着くまでが非常に長いです。自分の感情の変遷を残しておきたくてとても長いのでご興味ある方はぜひ…。OWV結成前と、結成後で分けてアップする予定です。
日プ無印との出会い
2019年9月26日、文句みたいなツイートをしていた割になぜか日プ第一回放送を見始めました。多分暇だったからです。正直第一回放送の段階では、レベル分けテストを見ながら「まあこんなもんか…」という大失礼なことを思っていたと思います。
中学3年の頃に東方神起からK-POPの沼へ片足を突っ込んだと思ったらそのまま沼に生息し続け、高校生時代のオタ活は大部分をSHINeeに捧げ、同時に幅広くK-POPを消費してきた学生時代。韓国ではじまった元祖PRODUCE 101を皮切りにオーディション番組という業の深い沼に結局今まで囚われてきました。韓国のオーディション番組を見慣れていたので、全員が事務所無所属、未経験者も多数、全てが荒削りな日プに、戸惑いがあったと同時に、キラキラ光るものを感じたから、第二回放送からも見続けたのだと思います。
韓国のオーディション番組では、幼い頃からアイドルという夢のためにその人生を捧げてきた練習生が多く、よく「アイドルという夢がなかったら何も残らない」という発言をよく聞きます。
それと比べて日プ無印は、それまで歌やダンスをしたことがない人でも、アイドルを目指したことがない人でも、事務所に所属していなくてもタイミングと運と、実力次第でものすごく大きい未知な夢を掴むことができた。
参加者も成人済みが多くて、「練習生」としてじゃない人生を送ってきた人がたくさんそこにいました。就職しているくらいの年代の参加者もたくさんいて、ちょうどその年、新卒で就職して縁もゆかりもない地に配属され一人もがいていた私にはとても、とても眩しかったです。
同年代の未経験の人たちが今は同じ夢に向かって頑張っている。その姿がきっと当時の私に刺さったんだと思います。K-POPやアイドルに対する世間の見方もこの数年で大きく変わったこともあり、先日終了した日プ女子なんかは参加者が最初からかなり洗練されていて、アイドルをずっと夢見てきた子も多くパフォーマンスのレベルが高かったと思います。
でも日プ無印ってそうじゃなかった。まさに原石たちの集合体、未完成たちの集合体だった。それがきっと私が日プ無印にのめり込んだ理由です。
推しとの出会い
さて、日プ無印を視聴し始めた私ですが、最初の推しは後のOWVメンバーではありませんでした。古屋亮人くんと上原潤くんです。ものすごい単純な理由なんですが古屋くんを応援しようと思ったのは第一回放送に映っていた人の中で一番顔が好みだなーと思ったからです。(文章にすると顔面史上主義の人みたいになる)でもポッピンダンスが得意で、本当に一生懸命で常にアイドルという夢に向けて頑張っている姿が印象的でした。
潤くんは一度韓国でオーディション番組に参加していて、そういう夢をあきらめない人にめっぽう弱いのが推していた大きな理由です。あと抜群にラップがうまくて歌もうまくて、負けん気のつよいところに実力がちゃんとついてきている人だなと思ったからです。発言でたまに炎上していましたが、マジで不器用なのと言葉が下手くそなだけで、その辺も含めて好きでした。
しばらくは1,2 pickを古屋くんと潤くんとして投票を続けながら、残りは放送を見ながら都度変えたりなんだりしていました。
自分で投票ができるシステムの何がすごくて怖いかって、「自分が参加者の人生を左右するかもしれない」という重大な責任のもと、一度推しと決めたら全然抜け出せないというか、応援せざるを得なくなってしまうというか。
2回目の放送の後の順位発表で、古屋くんの順位に愕然とした私はTwitterのアカウントを作ります。現在もOWVのオタクとして使い続けているアカウントです。実は最初は古屋くんの布教のためのものだったんです。(と言っても大したことはしてませんでした)
そんな中、ポジションバトルが始まって、古屋くんはダンスポジションのHighlight 2班になります。この時のチームは順位の高い練習生が、同じ曲希望の練習生の中から希望メンバーを選べるというものでした。Highlightには常に1位2位だった川尻蓮くんがいて、当時すでにほぼデビュー確実だった彼から古屋くんは選ばれず、残りの「選ばれなかった練習生」の班になるのです。そこで私は佐野文哉を見つけたのでした。
佐野文哉…?
「蓮くんから選ばれなかった練習生」を率いたリーダーが佐野くんでした。蓮くんとはダンサー時代からの知り合いで、蓮くん曰く、実力を知っているからこそ「文哉と闘いたかった」ためあえて選ばなかった、そうです。
佐野くん以外はレベル分けのクラスも低く、蓮くん率いる1班に勝つのはなかなか難しいだろうな、という印象を誰もが受けました。しかもその時点までの佐野くんの分量はほぼゼロに近く、すでに人気があるメンバーが多かった1班とは雰囲気が全く違いました。でも古屋くんがいたこともあり、下剋上ストーリーが好きなのもあり、私は2班をメインに応援したいなと正直考えていました。
川尻蓮VS佐野文哉の構図で進んだHighlightチームの闘いは視聴者の思いの外互角のように放送では見受けられました。チーム内で紆余曲折ありつつ、佐野くんの作った振付がトレーナーに好評で、できるだけ全員が目立つように丁寧に考えられた動線も、経験の足りないメンバーを引っ張る佐野くんも素晴らしかったです。
結果は現場投票でチームとしては1班の勝ちだったのですが、当時古屋くんがHighlightを踊ったメンバーの中で3位を勝ち取ったことで本当に嬉しかったのを覚えています。
一方で佐野くんはその時振るわない順位となってしまって、チームを勝たせられなかった責任も感じたと思います、声をあげて大泣きしていました。
ここまでが佐野くんとの出会いです。しっかりしたお兄さんで蓮くんに負けないくらい綺麗に踊る人、チームのために全力を尽くしてくれる熱い人、というのが私の佐野くんに対する第一印象でした。
佐野文哉…!
古屋くんと同じチームだったことで佐野くんを認識し、好感を持つようになったことでこの辺りから佐野くんへ投票を始めていました。
佐野くんのデビュー公約動画や、ツカメのチッケム、自己紹介、今は懐かしきマイスタに上がっていたコンテンツなどを見つつ、本当にじわじわ、じわじわ好きになっていました。
そんな中、インスタのストーリー広告で当時の佐野さんファンダムが出してくださっていた広告を見た時に、「佐野くんが気になってる」という旨のツイートをしたら、ババっとリプがついて佐野くんをお勧めされたのでした。
「佐野の湯はあったかいですよ!」という言葉が印象的でした。当時の佐野くんは老舗旅館の若旦那と呼ばれるくらい不思議な落ち着きと上品さを兼ね備えていたからか、よく言う「沼」ではなくて「湯」と言う表現が使われていました。ファンダムの皆さんが熱心におすすめしてくださったのもあり、この時点でかなり佐野くんが好きになっていました。
そして行われた第一回順位発表式。Highlightで少し見つかったおかげで、それまでずっと順位の低かった古屋くんは脱落ラインギリギリの60位で生存します。この時は佐野くんもギリギリの順位でしたね。
先述したように、一度推しを決めるとその推しの人生をになっているような気分に(勝手に)なり、簡単に1 pick古屋亮人という宣言を変えるのは少し抵抗があってなんとなく気持ちにストップがかかっていました。
でも正直、第一回順位発表式で髪を青くして佐野くんが現れた瞬間に「あ〜だめだこれ好きかも」状態にはなっていましたね。。。。
そう思っていた私が「これはもう完全に佐野くんが好きだ」と自分の感情を認めざるを得なくなったタイミングを、なぜかしっかり覚えています。
このシーン。
第一回順位発表が終わり、次のチームが決まった後、曲決めのために障害物競走が行われている際に、障害物競走に出ているチームメイトを応援しているシーンです。
なんでここが刺さったのか本当に今でもわからないんですが、クールに見えていた佐野くんが大声で応援しているところを見たからなのか、この耳に手を当てる癖が可愛いなと思ったからなのか(日プ中はなぜかよくしていた仕草)、それまでチームでお兄さんとして引っ張っていた佐野くんが同い年や年上が多いチームの中でちょっと弟っぽい感じになっていたのがよかったのか、ただ単にこのビジュが好きだったのか…。
人が人に落ちる時ってよくわかりませんね。
ともかく私はこのシーンで一気に佐野文哉の湯にドボンと浸かった自分を自覚。そっからはもう早かった。どのシーンでも佐野くんがどこにいるかを探し、それまでのエピソードを遡ってできるだけの佐野くんを摂取して、そこからは佐野くんメインで日プを追うようになりました。
この衝撃が今までにないくらいで、なかなかに久しぶりの「沼落ち」に相応しい感情だったと思います。ここまで来たらもう軽いノリで日プを見ることができなくなっていました。
そこからの流れとしては大体を日プの佐野さん登場シーンまとめで語っているので割愛します。
佐野さんが脱落した第三回順位発表式以降は本当にしばらく魂が抜けていました。今まで表舞台に出ていたわけじゃない一般人の彼がまたアイドルを目指してくれることなんて果たしてあるのか。韓国のオーディション番組出身者のようにプデュで知名度を上げてから自分の事務所でデビューするなんてこともできないし、日本のプデュが初めてだったこともありなんの前例もなく真っ暗闇と言ってもいいほどでした。
一般人のオタクになっちゃったよ…という言いようのない思いの中、過ごしている日々でした。今思えばオーディション番組が終わっても、事務所に所属しているわけでもない練習生のことを忘れずに好きでいたのって自分の中で前例がなさすぎる。
オーディション番組そのものにではなくて一人の練習生に執着していたあの日々。インスタグラムでの生存確認や、他の脱落した練習生と会っている様子を見ながらなんとか希望をつなぐ日々でした。
日プ後のことを語る前に、日プ中のOWVの他メンバーについても言及しようかと思います。
本田康祐は兄貴じゃないと気づいた時にもうだめだった
本田くんについて、一番最初の印象は「K-POP発祥のオーディションにこういうタイプの人いるんだ〜」だった気がする。LDHっぽい見た目だなと。でも本田くんは序盤から番組で取り上げられることが多かったこともあり、自然に好感は抱いていました。
全然覚えてないけど初期から投票していたみたいで、最初に投票開始した時くらいのスクショが残っていました。
これも覚えてないけど、私が日プ関連で一番最初に保存したのが本田くんのマイスタのあいうえお作文のけろけろけろっぴ。なんかおもろい人だな〜と思っていたであろうことしか覚えていなくて悔しいです。
でもハマった時はこれまたしっかり覚えています。
第三回順位発表式です。この時の髪型とビジュがド刺さり。そのままコンセプト評価のBlack Outで佐野くんと同じチームになったことにより、本田くんの新たな魅力に気づいてしまったのです。
それまで兄貴ポジションでチームを引っ張ってきた本田くん。練習生の中でも年上の方でみんなに一目置かれる存在として番組で描かれていた本田くんが佐野くんとのパート争奪戦で子供みたいに泣いていて、それまで常に頼れる兄貴だった彼がそこまで素直に悔しがれて感情を出せる人が佐野くんなんだ…!と。もう絶対二人一緒にデビューして…と何度も思っていました。
プデュに出演前から知り合いだった二人は、お互いに「違う形で闘いたかった」というのです。この辺のふみやすの関係性についてはまた別で言いたいことがたくさんたくさんあるのでまたの機会に…。
とにかく、「頼れる兄貴」の兄貴っぽくない面を見た時に、本田くんの人間味に気付き、気付けばズブズブと。今となっては「世界一顔が好き」とか抜かしております。はい…。
浦野秀太はもっと見つかるべきだった
秀太を最初に気になり出したのは、グループバトル。グループ決めの時に、当時一位で、メンバーの選択権があった川尻蓮くんに一番に選ばれたのが秀太でした。「僕は秀太の声が一番好きです」と言っていた蓮くんの言葉に驚く秀太の顔が忘れられません。
当時順位が振るわなかった秀太は、一位の蓮くんに名前を呼ばれたことでずっと口を塞いで嬉しそうにしていました。あの場面で一番に秀太を呼んでくれた蓮くんのおかげで秀太が見つかるきっかけが増えたんだろうなと思うと奇跡かも。
本番で秀太は高音のフェイクを成功させてチームもグループバトル1位を勝ち取ります。それでも、他のチームメンバーに比べて順位が低かったせいか、全然秀太の分量なかったの全然まだ許してないし…。第二回順位発表式でも、この時得たベネフィット票でギリギリ35位で生存する秀太。名前を呼ばれて心臓を抑えるように胸を抱えて小さくなって椅子に座っていた姿が痛々しくて、もっと報われてほしいと強く思ったのでした。
その時佐野くんが34位で、隣から心配そうに見守ってたのをよく覚えています。
プデュの時はずっと、どこか自信なさげな姿が印象的だった秀太。ビハインド動画などではみんなと仲良くしている姿や笑顔が見られていたのに、本編ではあまりそういう姿が取り上げられず、分量と印象操作に苦しめられた練習生の代表格だったなあと今思えば感じます。
MUSEUMツアーで、秀太が当時のことを思い出して「僕の魅力に気付かなかった国民が悪い!」と言っておりましたが本当にそうです。(一応彼のために言っておきますが彼は冗談で言ってます)
ちなみに、先述した通り、上原潤くん2pickだった私。潤くんと秀太がかつて同じグループで活動していたことを番組の途中あたりで知り、俄然秀太のことが気になっていました。昔一緒にやってたとかそういうのとても好き。
二人の関係性に焦点が当てられることはなかったものの、同じベッドに座ってたとか、ビハインド動画で一緒にいるとか、順位発表式の時に励まし合ってるとか、そういう気付いたら隣にいる…みたいな上野公園ケミ(なにこのケミ名)の関係性が好きでした。同じ道を辿ったことがあるもの同士、支えになっていたのかな…。
プデュのシステムに苦しめられた勝就
私はプデュ中リアルタイムで勝就さんの魅力に気づくことができなかった不束者です本当に申し訳ない。ポジションバトルのラップ1班で潤くんと同じチームだったな、ラップ1班のレベル高かったな〜。くらいで…申し訳ございません。
でもラップのスキルもさることながら練習生が選ぶビジュアルランキングにもランクインするくらい顔が整っているのになんとなくぽわっと柔らかい雰囲気で、第一回順位発表式後に脱落を惜しまれていた声がかなり大きい方だった印象があります。
勝就さんほど、第一回順位発表で落ちた人の中から報われた人はいないんじゃないかと思う。それくらい、初回落ちって視聴者の印象に残るのも難しくて、その分絶望もたくさん感じたと思う。デビューしてからたまにその時の心情についてポロポロと話してくれていますが、当時の様子を覚えているからこそ胸が苦しくなります。
プデュ放送中は勝就さんに対する印象がほとんどなくて、OWVで中川勝就に会えなかった世界線を想像すると怖い。こんなにいろんな才能に溢れた人が花開かないことが往々にしてある世界なんだなと思うとやっぱり今表舞台にいてくれている彼の努力と奇跡に感謝しないといけないですね…。
番組終了後のOWVメンバー
番組終了後は、先が全くどうなるかわからない中、たびたびインスタグラムで発信してくれる佐野くん、本田くん、秀太の投稿をチェックする日々を過ごしていました。
本田くんがインスタ更新すると佐野くんも更新することが多くて、2人ずっと一緒にいるんじゃないのか?と冗談で言っていた日々が懐かしいです。蓋開けてみたらマジでずっと一緒にいたし毎日LINEしてた。(これはいつか書くふみやすnoteで詳しく書く予定)
この3人はよく一緒にいるストーリーをあげてくれていて、3人を中心に、他の脱落した練習生の姿がちらほら見えているような状態の期間が長く続いていました。
その中でも佐野くんが勝就と一緒にご飯に行っている写真をあげたのはあれが最初で最後で、めちゃくちゃ意外だ〜と思った記憶。
この時すでにグループを組むとか組まないとか事務所どうするとか色々なことが裏で動いていただろうに、今思うとそんな大変な状況の中でもファンのために逐一写真をあげたり質問コーナーしてくれたり、その頃からファンのケア方法をよくわかっている人たちでしたね。
佐野くん・本田くん・秀太は一緒に何かをしてくれるんじゃないかと希望観測的にずっと思っていて、でも前例もないもんだから期待しすぎずにその日が来るなら待っていよう、という気持ちだった気がします。今までK-POPのオタクしていたのに急に日本人の一般人の動向を見守るキショいオタクになっていた私を救ってくれたOWVには感謝しても仕切れません。
そんな風に近況報告をしてくれていた佐野くんをメインに見守っていた私にとって大きいターニングポイント(大袈裟)になったのが2020年3月14日のホワイトデーインスタライブ配信でした。
次回へ続く!!