【忽ち重版!?】持たざる者の新刊広告戦略
翻訳者にとって、自分の訳書の刊行は待ちに待った一大イベント。
古今東西の農民が収穫後に盛大な祭りを開いて、肉体労働の憂いを吹き飛ばしてきたように、翻訳者もまた、訳書を華々しく送り出すことで、この数か月で骨身に染みた疲労、ストレス、閉塞感を振り払い、次の仕事に注ぐエネルギーを蓄えるわけです。
がんばって作った本ですから、自分でも派手に宣伝をして、できれば100万部くらいは売れてほしい。が、いかんせん、自分の担当作品が常に話題の書とはかぎりません。すべての野球選手が大谷君ではないのと同様、すべての著者がハラリ、ピケティ、ジャレド・ダイアモンドではないのであります。
でも、決してベストセラーになる見込みのないタイトルだったとしても、翻訳者にとっては、苦楽を共にしてきた大切な本。その旅立ちにあたっては、せめて景気のいい言葉で送り出してあげたいものです。
というわけで、今回は、あなたの書籍をたちまちビッグ・タイトルに変貌させる煽り文(宣伝コピー)を考えてみました。しかも作り方は、既存の決まり文句にちょっと手を加えるだけ。お手軽でしょ?
■忽ち重版!→???
「忽(たちま)ち重版」という文言を見ると、瞳に暗い炎を宿した私などは、「忽ち重版してしまうのは、製作部の部数の読みが甘かっただけでは?」とつい斜に構えてしまうのですが、それでもやはり「忽ち」の勢いと「重版」の響きは捨てがたい。
ただ、たとえこの常套句が購買意欲をそそる優れたコピーだったとしても、まだ重版していない本を「忽ち重版!」と宣伝することは倫理的に許されません。
使いたい、でもそれは許されない……。この二律背反に10分ほど苦しんだ末に考えついたのが次の惹句です。
勢いを殺さずに、しかも内容に嘘はない。二兎追う者が二兎得てしまった、暗い世相を吹き飛ばす充実のコピーです。
応用も楽チン。
初版が出来上がっただけで何をそんなに驚いているのか、私にもよくわかりませんが、ともかくまあ、勢いだけは感じられます。自分で書いておいて、そんなに言うならちょっと買ってみようかな、と思っちゃったくらい。
■累計100万部!→???
なんでも、『ハ○○ポ○○ー』シリーズは累計2000万部以上も売れたそうで、瞳に暗い炎を宿した器の小さい私などは、印税が1冊100円として……と指折り計算してしまうわけですが、もちろん、そんな僥倖は誰にでも訪れるものではありません。
とはいえ、発行部数の多さをアピールするのは、たしかに魅力的。富士山を見ると思わずおおっと声を上げてしまうように、人間は根源的に「大きいもの」に畏敬の念を抱くものなのかもしれません。
そこで次の惹句です。
部数ではなくページ数。これならば、たとえば1冊300頁だとして、3000部ちょっと売ればよいわけですから、難易度は大幅ダウン。
また、実際は1000部単位で売れている程度なのですが、部数からページ数へと視点をずらすだけで、ああ100万頁も売れたのかと、奇妙な自己肯定感が生まれる可能性も。一石二鳥とはまさにこのことであります。
■刊行前重版!→???
本づくりを始めてそろそろ20年になりますが、「刊行前重版」という現象を一度も体験したことがありません。それどころか、どうしたらそれが実現するのか、その仕組みすらわからない。もしかしてこれは、会ったことのない資産家の伯父から莫大な遺産が……みたいな一種の都市伝説では?
しかし、この夢のような常套句も、ちょっと語順を入れ替えるだけで、私たちにもってこいの宣伝コピーに一変します。
重版前に刊行するのは当たり前と言えば当たり前、冷笑家ならずとも「だからどうした?」と言いたくなるコピーですが、このように強く言い切られてしまうと、なんとなくすごい本なのかしらと思えてくるから不思議です。
『夜の果てへの旅』で主人公のフェルディナンは言いました。「ずうずうしく出ればそれで十分、そうすれば、何一つ許されないことはない」。さすがセリーヌ、卓見ですな。
以上を踏まえた上で、実際にツイッターで宣伝文を作ってみました。
私の訳書は今週末あたりに刊行予定です。何卒よしなに。
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