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阪神淡路大震災から30年が経って今感じること


30年前の阪神淡路大震災
【1995年1月17日朝5時46分】


当時神戸の三ノ宮のマンションで、
大きな音と衝撃で目覚めた時には
何が起こったのかは把握できなかった。

トラックが突っ込んできたのかと
思った。

当時は同棲を始めてたばかりで
彼が『地震や!』と
私に覆い被さってきた。

揺れはもの凄く大きくガシャンガシャンと全てのものが床に落ちて来た

『また来る!』と
言った直後の余震は
海の方からゴゴゴッと地鳴りが近づいてくるのが分かって凄く恐ろしかった。

収まってから部屋を見ると
床が足の踏み場がなかった。

慌てて外に出た
フラワーロード大通りのビルが
横倒しになって道路を塞いで崩壊し
様変わりした景色に
一体この世界はどうなったんだろう。。。
とショックで立ち尽くしていたっけ。

幸い新築マンションに引っ越ししたばかりで自宅の崩壊は免れた。

勤め先の三ノ宮のビルを見に行ったら
完全に崩壊していた。
道はガラスの雨だった。

目の前の景色はまるで映画の世界みたいだった。戦場か地獄のよう
ある意味世界の終わりを体験した。

沢山の方が亡くなったあの場で呆然と立ち尽くしていた30年前。。。。

そこからは
本当いろいろな事があったけれども

今一番覚えているのは
有事の時の
人が人を思いやる優しさや愛に触れた事

救援物資のダンボールに書かれたメッセージや、自然な分かち合い。
その事を思い出すと今も心が暖かくなるし涙が出そうになる。

神戸が大好き。

みんな食料を求め
壊れたスーパーマーケットに 
きちんと並んで
一人3つずついただこうね。って
大阪だったら取り合いになるやろなーってさすが神戸の人は違うわーって。
感心したりして。

川に水を汲みにいったら
若い人がお年寄りのお水運んであげていたり

私にもいつも誰かが声かけてくれた
【大丈夫か?頑張ろな。】

自然な助け合い分かち合いが起こり
なにもないからこそ、 
そこには愛しかなかった
そんな尊い世界を魅せてもらった。

しばらくしてから
神戸から離れ大阪の実家に避難した
みんな頑張ってるのに、
私はヘタれやなーって自分を責めて
人生の中でもかなり落ち込んでいた時期
今思うとPTSDだったんだなぁ。
一瞬で全てが無くなるという体験をしたんだもん

そこからしばらくして、
大阪から神戸のポートアイランドの本社に電車通勤していて、(当時アパレル勤務でデザイナーをしていたバリキャリ時代)

崩壊した街を見ながら通勤する毎日が
辛くて辛くて電車の中で過呼吸になったり、頑張れない自分がいて
仕事場に行っても一人トイレで泣いていたり、平気なふりができず
バランスが取れない日々を過ごしていた。



そんなある日の事
青空を一人眺めていたら
すーっとソラ突き抜けて
身体が軽ーくなって
どこまでも拡大するような
なんとも言えない
スッカーンと爽快な感覚に

『だって生きてるんだもん。
喜び、楽しんだらいいんだよー』

と、どこからか 
そんな声が聴こえてきた。

今でも時々思い出す。
あの時の感覚。あの青いソラ。

辛い時それを受容した時に
反転した世界が姿を現す
その陰陽
辛さ悲しさ悔しさやるせなさの
反転する世界
喜び楽しさ優しさ大丈夫な世界
が同時にそこにある


だって生きているんだもの!


その後の神戸の復興に向かうエネルギーは本当に力強く素晴らしかった。
自分自身もそのパワーに力をもらい
会社を辞めて、
バックパッカーで
一人世界をアジアからアフリカまで
長い旅に出ることになった。
"今を楽しみ喜ぶ生き方"に
シフトチェンジした。
あの日人生の第二幕が始まった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今苦しくて辛い中にいる方が
それでも幸せや喜びや安心を
少しでも感じられますように。

世界が優しく温かでありますように。

どんな時も私達は愛を真っ直ぐに生きられますように。

30年前の私へ。
愛をこめて。

『だって生きているんだもん♡
今を喜び楽しんだらいいんだよーー!』

それは明るく元気に
そして真剣に生きている
"今の私"からのメッセージだったんだよね(^^)

#阪神淡路大震災
#30年前の事
#神戸らぶ
#私へのメッセージ
#祈りの場

親愛なるアーティストさん達が
3.11の後集い歌っている大好きな愛の唄
胸に響く本当に素晴らしい曲

是非"今"聴いてみてほしい

【地球さんの歌】
song of the Earth 

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