『JIN-仁-』コロリから考える、コロナとシティズンシップ


新型コロナウイルスが世界的大流行となっている中で、TBSで『JIN-仁-』というドラマが再放送されている。

第二話で、コロリという疫病が幕末の江戸を襲う。現代からタイムスリップした脳外科医の南方仁は、運命や生死について考えながらも目の前で起こったコロナという惨劇を見て江戸の人々を救うことを決める。

コロリというものは、19世紀前半から全世界に広がったコレラ菌のことを言っており、激しい脱水症状により死を招いた。江戸時代末期の鎖国政策によってコロナが日本でも蔓延することになったという説がある。


ドラマ『JIN-仁-』では、南方先生はコレラの治療のために赤い布で隔離スペースを設けた。最初はその布があたかも壁であるかのように、その外側にいる町人や医師たちは未来から来た南方先生の言葉を信じられなかった。まるで他人事のように南方先生の奮闘を見るだけ。しかし、その情勢を打ち破る一人がいた。坂本龍馬は患者を背負ってその赤い布をまくったのだ。そこには”信頼”があった。命を救いたいという南方先生の強い意志を信じた行動だった。

南方先生が江戸の町人たちに向かって言った言葉がある。

「みなさんで協力してコロリをやっつけましょう…!」

南方先生の言葉や命を救いたいという態度に動かされたのは、町民だけではなかった。緒方洪庵を筆頭とした江戸の医師たちや勝海舟などもいた。南方先生が江戸の人々に求めたのは隔離予防だけではなかった。


隔離と予防の大前提として「みんなで力を合わせる」ということがあったのではないかと思う。『JIN-仁-』の作品の中に出てきた江戸の町人たちは協力して予防するという行動にうつった。

私は、ドラマに出てきた江戸の人々にシティズンシップを感じた。シティズンシップとは市民としての資格を意味し、その資格に基づいて市民としての権利が付与されるという考えである。近年では市民性を育むためシティズンシップ教育なども注目されている。


新型コロナウイルスに打ち勝つために我々一人ひとりができることは何かと考えたとき、それはシティズンシップの発揮ではないかと思う。

「自分はたぶんうつらないからいいや」

「禁止でないならいいじゃないか」

「自分は悪くない。あの機関は何をやってんだ」

そんなことを考えているなら、事態の収束は程遠いのかもしれない。シティズンシップとは、つまり、「どれほど自分以外の何かを思いやり、協同して行動できるか」ということではないだろうか。「共同体の中の個であることの自覚」とも言えるかもしれない。

シティズンシップに関連して、第35代アメリカ合衆国大統領のジョン・F・ケネディは大統領就任の演説で次のようなことを言った。

「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい」


しかし、これらのことは誰にとっても耳が痛くなることかもしれない。それは、個人の利益の追求を失うことはできないからだ。

ただ市民の一人として考え、行動しようと努めることはできる。『JIN-仁-』に出てくる江戸の町人たちのように、現代の人々も「自分勝手ではなく、他人を思いやる」「協同して困難に立ち向かう」、そのようなことはできると信じている。作中では「国のため、道のため」という台詞が多く出てくる。「自分のためだけの道」ではなく「みんなのための道」。その尊さをこのドラマは教えてくれる。それぞれの役割の中で一人ひとりが「みんなのための道」を考える。それもシティズンシップと言えないだろうか。


約150年前の日本で起きたコロリの蔓延。それが描かれ、ドラマ化もされた村上もとか作の『JIN-仁-』。そして、現代で世界的大流行をしている新型コロナウイルス。

ドラマ『JIN-仁-』で、コロリに打ち勝った後、坂本龍馬は次のように言った。

「夜が明けたぜよ」

日本もそのような状態になることを信じて耐えて、団結して、頑張る必要がありそうだ。「開けない夜はない」「夜明けは必ず来る」と…


今から150年後には、現代の私たちもコロナに打ち勝って話が作られることがあるかもしれない。

最後に、南方仁先生が残した有名な言葉を綴って締めくくりたい。

「神は乗り越えられる試練しかあたえない」



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