旅のスケッチ ネパールの雹
こちらは、インド編からの続きです。
インド国境の町、スノウリで同行の友人は発熱。でも、何もない国境の町にいるよりは、次の目的地、ネパールのポカラでゆっくりしたほうがいいだろうとバスに乗る。
スノウリからしばらく走ると緑の山が迫って来る。村を抜け川を渡り、ネパールは人の顔も風景も日本のようだ。やがて山道に入ると突然スピードダウン。ツーリストバスなのに普通のネパール人も乗って来るようで、しばしば停車する。バスは段々畑を縫うように、のどかな風景の中をぬけていく。空がだんだん青くなって来ると山の間に白い雪の連山が見えた。
ポカラは湖のほとりの美しい町だ。ここを起点にトレッキングに行く人が多いという。友人はまだ復活していないので、とりあえず回復を待つあいだ私は近場をぶらぶら散歩した。
翌日はなんとか友人の体調も回復したので、自転車を借りて市内を巡る。借りた自転車はまっすぐにしていても左へ曲がっていってしまうし、道は凸凹だし、とても疲れたけれど、オールドバザールへ向かうと、道の真ん中に寺院(祠?)があったりしてネパールらしい街並みが素敵だった。
町中を歩いていたときに地図を見てうろうろしていると、通りがかりの若者が「May I help you?」と話しかけてきて驚いた。確かにインドでは商人が話しかけてくることはあっても、通行人が旅人に親切に話しかけてくれることはなかったので、なんというか、国ごとの人々の性格の差なんだろう。
翌日は天気がいまひとつだったけれど、ポカラ近郊の村、サランコットへ。ここはヒマラヤの眺めが美しいという丘で、ポカラの観光名所のひとつ。けれどもやはりもやがかかっていて、ヒマラヤ連峰を望むことはかなわなかった。ポカラの町とペワ湖を眺めて帰る。祠、石の家、道中の段々畑が脈々と続いてきた人々の暮らしを思わせた。
インド国境からポカラまで陸路で来たのは、その国が、気候が、変わって行くさまを眺めたかったからだけれど、ポカラからカトマンズまでバスで行くのは相当時間がかかるようだったし、友人の体調も万全と言えるほどには回復していなかったので、カトマンドゥへは航路で向かうことにする。ポカラの空港で待ち時間があったようで、スケッチが残っていた。
先日あったネパールの航空機事故がカトマンドゥからポカラ行きだったというから、私たちが乗ろうとしているのはちょうどその反対方面の航路になる。山あいの地形は陸路で行くのも大変だけれど、気流が乱れやすくて飛行機で越えるのも難しい場所なのだ。そんな厳しい自然にさらされたネパールの風土と、だからこそ美しい人々の生活を思う。
カトマンドゥはネパールの首都にして古都。町はダルバール広場と呼ばれる王宮広場を中心に周囲には寺院などの重要な建物が集まっていて、どれも伝統的なネパールの精巧な木造建築。見飽きない。木造だからか、日本建築ともつながるような雰囲気がある。
このカトマンドゥで強烈な印象に残っている出来事がある。トロリーバスに乗ろうと歩いて行く途中で気になる音楽が聞こえたので近づいてみると、屋根のある休憩所のようなところに横長の太鼓や笛、唄をうたう人々が集まっていた。横の祠では花や米が撒かれていて、かたわらに額を赤くした白羊、黒ヤギとニワトリ、牛がいる。
なんとなく嫌な予感、と見続けていると案の定、ニワトリから順に祠の中へ。その首が祭壇に捧げられて行った。生贄の動物をかわいそうと思いつつ、目が離せなくなっていると、ついに祠に納まりきれない牛は路上にて、その足を紐で縛って倒された。地面に押さえつけられ、切られた首から飛び出る血をバケツで受けても、あたり一面は血の海で、真っ赤な地面が残される。
そういえば、ヒンドゥー教は牛は神聖なのに殺してしまうのだろうか、と思ったのだけれど、どうやらあとで調べてみるとこの生贄は水牛だったらしい。牛は神聖でも、水牛は別なんだそう。私には見分けもつかないほどなのに不思議だ。
そして、この人々が集まっていた場所こそ、私がカトマンドゥで見たかったもののひとつ、パティだった。当時、勤めていた公共空間の設計をする会社が倒産して無職だった訳だけれど、相変わらず公共の場については興味を持っていて、日本で出版された本で知ったネパールのダルマシャーラと呼ばれる伝統的な公共の休憩場を見てみたいと思っていたのだった。
パティはダルマシャーラの中でも、他の建物にくっつくように作られたひさし状の屋根がかかった空間で、小規模なもの。ほかにサッタール、マンダパと呼ばれるものもある。当時、現地で探して買った本を帰ってから写したのが下のスケッチ。
こんなちょっとした街角の休憩場で、お年寄りが語らい、子どもが遊び、祭りが行われる、というのが町にとって理想的に思えた。
右下に書いたカシュタマンダパ(カスタマンダップ)というのは、カトマンドゥ最古の建築物とも言われ、一本の木からできたという言い伝えのあるダルマシャーラで、カトマンドゥのダルバール広場の一角にある。大きな屋根の下では、多くの人々が座って休憩していた。
12世紀にできた寺院でもあるカシュタマンダパは、歴史の重みを感じるというよりは、この建物自体がネパールの歴史そのものというような建物だったのだけれど、2015年にネパールを襲った大地震で、跡形もなく崩れてしまったという。他にもダルバール広場近くの建物も多く倒壊、破損したというニュースを見て驚いた。
ネパールの方々はどんなにショックだっただろう。どんなに古くからあるものでも、いつまでもあるものではなく、なくなる時にはあっという間に消え去ってしまうものなのだ。だからこそ私たちは古くからあるものは、その古いというだけで無条件に残す努力をしなくてはならないな、と古いもの好きな私は強く思う。
今回記事を書くにあたって、このカシュタマンダパのことを調べてみると、どうやら昨年再建されたもよう。確かに訪れた当時も、ネパール最古という割には意外ときれいだな、と思ったのだけれど、少しずつ修復されながら引き継がれてきた建物だったのだろう。再建できる技術があるうちに復元されてよかった。これから再び新たな歴史を刻んで欲しい。
カトマンドゥは周辺にいくつもの小さな古い都があって、寺と広場を中心に町が作られている。これらはどこも興味深く、バクダプル(バドガオン)、ティミ、パタンといった街を訪れた。
最後に行ったキルティプルはカトマンドゥ盆地に浮かぶ小島のようだ。小高い丘に要塞のように建物が張り付いている。階段と坂道でできた私の好きなタイプの小道を登っていくと、ほどよい大きさの広場に出た。ストゥーパ(仏塔)がある。子どもたちが遊んでいるのどかな風景を眺めていたら、突然のスコール!でも、犬は相変わらず昼寝を続けていた。
北側にカトマンドゥの町を見下ろしながら、尾根をさらに西へと進むと、どんずまりの広場には祠と井戸。それだけで、その場が古くからあるべくしてそこにでき、人々が集ってきたことがわかる完ぺきなつくり。趣のあるパティ(縁側状の休憩所)が2つもある。
老人がたむろしている。子供たちが追いかけっこをしている。かたわらには学生だろうか、青年数人が集まって話をしている。階段の上には木造の伝統的な三重の塔が立ち、四方を眺めて休むことができるようになっている。ヒンドゥー教の寺院だ。
この大きな階段の上でスケッチしていると雷鳴が轟き、突風が吹いたかと思うと聞きなれない音がして、雹が降ってきた。広場で遊んでいた子どもたちも軒下へ駆け込んで来た。私のスケッチを見て興味を持って話しかけてくる。
何を言っているのかよくわからないので、ニコニコしながら適当に相槌を打っていたら、私の額と友人の額に指で赤い粉をつけてくれた。宗教的な意味があるのだろうか。その意味はよくわからなかったけれど、なんだか神々しい風景の中で行われた儀式のように感じて嬉しかった。粉をつけてくれた少女の額にも同じ印があり、こちらを見てはにかむように笑っている。
絵を描き終わる頃には雹は止み、雲の間から斜めの光線が差しこんできて、塔の立つ島は輝いた。その歴史の一瞬を刻むかのように。
ふたたびのインド、デリーとレー編に続く
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