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吉沢川から二階堂川へ 滑川源流歩き

早春の山もいいけれど、八重桜が散ってから蚊が出てくるまでの貴重な新緑の季節も大好き。汗ばむ季節は水辺を歩きたくなる。

鎌倉のほぼ中央を流れ、北と南に二分している滑川なめりかわには別名が多くあり、場所によって名を変えていく。下流では閻魔川。中流にある本覚寺の夷堂橋えびすどうばしのあたりでは夷堂川。雪ノ下あたりでは座禅川。そして上流の朝比奈あさひなあたりでは、鎌倉殿の13人でも名場面のひとつだった上総介広常を梶原景時が切ったその太刀を洗ったといういわれから大刀洗川たちあらいがわと呼ばれている。

この大刀洗川のあたりで枝分かれしているのが吉沢川という支流で、そのあたりの谷は番場ヶ谷ばんばがやつという。

番場ヶ谷は古都保存法で指定されている歴史的風土保存区域のため、開発から守られて自然のままのように残されている貴重な場所のひとつ。

コロナ真っ只中だった3年前のこの季節、家族で出かけるのも憚られたので、この誰もいなそうな場所を目指して歩いた。

金沢街道から吉沢川に沿って曲がり、川を遡っていく。道に沿った崖からは水が流れているところがあり、早くも源流の雰囲気。

舗装された道路が終わると道はぬかるみ、ササのトンネルをくぐって進む。ササの幹にはびっくりするくらいのオレンジ色の粘菌のようなものがついている。少し気味悪く、風通しが悪そうな感じ。

やがて道は川の流れのすぐ脇を通るようになる。木の梢高くに藤が咲いているようで、紫色の藤の花びらがあちこちに落ちているのがなんだかうれしくなる。甘い香りに誘われて木漏れ陽を見上げると黒い蝶が静かに飛んでいた。

両側の切り立った崖にはまだ咲いてはいないがイワタバコがついている。先程までの車の走る街道とは別世界の静けさと湿度。ここが番場ヶ谷ばんばがやつという鎌倉の秘境だ。

靴の裏をぬらしながら滑りやすい川を歩くと、さながら探検隊になった気分。ところどころには水の溜まった淵がある。

源流をたどっていくと、そのまま天園にあがれるルートもあるようだったが、このときは道なりに進んでいくと、丸太の橋を越え、倒木をくぐったりして天園よりは南側のハイキングコースの尾根に出た。

天園ハイキングコースは鎌倉を囲む尾根を巡る有名なハイキングコースなので、先ほどまでの静けさがうそのように、突然人通りが多くなる。トレイルランナーや、家族連れも多いハイキングコースのメインストリートだ。

このまま天園を経由して獅子舞経由で鎌倉へ戻ろうと思っていたのだけれど、お腹がすいたので少し広くなった道ばたでおにぎりを食べていると枝道を発見!

鎌倉のハイキングコースの枝道の多くは、高圧電線の鉄塔の管理用道路か近隣の住宅地へとぬけるショートカットルートであることがほとんどで、あまり見どころはないのだけれど、何度か通ったことのあるメインルートを外れて枝道を探検してみることにした。というかこの日は朝から探検気分だったので、その気持ちのまま歩き続けたかった。

しばらく尾根をゆるやかに下っていくと、道は鉄塔をくぐる。やはりここは電気会社の人がメンテナンスで使うための管理用通路らしい。足元にはハート形の葉っぱが這っていて、よく見るとカンアオイの地味な花がひっそりと咲いている。

植林された杉林へ続くさらに枝分かれした道は見逃して、崖崩れした跡を通れるようにならされた踏み跡を越えると、向こうの斜面が明るい黄緑色に開けていて、その丘には果樹のような手入れされた小さな木や、畑のような茶色の上に、小さな人らしき姿。周りを山に囲まれた小さな丘はこじんまりと美しく、まるで桃源郷のように見える。

ほんとうに、そんなことがあってもおかしくないような緑の奥の空地だと思った。確かめるのを急ぐように階段を降りていくと、丸太の一本橋に到着。慎重に小さな川を渡ると道路に出た。先程の桃源郷に近づいてみればご高齢の男性やらかなり先輩の女性が、やはり農作業をしているようだ。ここがどこなのかとうろうろしていると、鎌倉老人農園と書かれた看板を見つけた。

先程まで桃源郷かと思っていたものが、老人農園とはひどいネーミングだと軽く腹を立てつつ、地図で場所を確認すると、当初予定していた獅子舞からの出口だったことがわかる。だいぶショートカットしてしまったらしい。獅子舞の谷へ向かう道は岩盤を流れる川沿いに続いていて、いい雰囲気。これは二階堂川という滑川の別の支流だった。

まだ名残惜しく探検を続けたい気分ではあったのだけれど、日が傾いてきていることもあってこの日はここから帰路につく。川べりに咲いていたミヤマハンショウヅルのベル形の花にまた来るね、と約束して。

吉沢川から二階堂川へ滑川源流歩きMap 
©さんぽ絵ずし




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