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ミセスの変化に対していちファンが思うこと。
皆さん、こんにちは。さんぽです。
このブログを開いてくださり、本当に本当にありがとうございます。
私は、インディーズの頃からミセスを知っているファンの方のように、ミセスの考えや過去を知り尽くしている訳ではないし、学生であるが故、金銭的な事情で、音楽雑誌のインタビュー等も全て拝読できていません。
ただ、同じ音楽を愛する同士たちのモヤモヤを、心の痼りを、少しでも取り除ければいいなと思い、綴りました。
この文章は最後まで読んでいただけると、語弊なく届くかなと思っています。(後半に、言いたいことが詰まってる…….)
ぜひ最後まで読んでいただけますように🍏
Mrs. GREEN APPLEは、常に進化し続けるグループだ。
2022年、2年後の活動休止を経て、フェーズ2と称し活動を再開。ビジュアルもより洗練され、華やかなものに変化した。
同時に、ロックテイストの楽曲も目に見える形で減り、運営の売り出し方も変化した。
「ミセスは変わった。」
そのような声も耳にするようになった。
この変化に対して、SNS上では度々ファン同士が白熱した議論を交わし、同時に応援の仕方の違いから、言い争う声も時折聞こえてくる。
今日はフェーズ2での彼らの変化に対して、私自身がいちファンとして思っていることを綴る。
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表現の幅を広げたい
誤解されがちだが、ミセスは決して、フェーズ2から「大衆化」を狙い始めた訳じゃない。
「結成当時から大衆に届けたいという理想は前提としてありました」
彼らがインタビュー等で繰り返し公言しているように、
バンド結成当初から「国民的バンド」を目標に掲げ、走り続けた11年間。
その長年の悲願が叶い、世間に広く認知されるようになり、SpotifyやBilbord等の、国内で最も再生されたアーティストで首位を席巻し、2023年にはレコード大賞を受賞、リリースした楽曲の総再生回数は70億回を超えるなど、
今の、令和を代表する国民的バンドとしての地位を確立した。
なのでフェーズ2で「大衆化」を狙い始めたから、ビジュアル等に変化が起こったわけではない。
では彼らは何故、フェーズ2で大幅な路線変更を行なったのだろうか。
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2020年、Mrs. GREEN APPLEは突然の活動休止を発表する。
活動休止に踏み切った理由について、ボーカルの大森はとあるテレビ番組でこう語っている。
限界でしたね。表現をする上で。
表現者として後ろを振り返った時に、目の前のことを精一杯やれてはいるんだけど、それだけなんじゃないかっていう。
もっと何ができるのか、何ができないのか、一回止めて、それぞれのスキルだったりとか、人間力みたいなものを高めないといけない。
バンドの幅を広げていきたいという強い意志で。
彼らは2年間輝く表舞台から姿を消し、鍛錬の期間を設け、それぞれに葛藤した。
活動休止中に関して、彼らの口から語られることは滅多にないが、想像も絶する苦悩があったことは容易に想像できる。
若井は「めちゃめちゃ辛かったです。自分は何ができるんだろう?みたいな状態に1回入っちゃって」と精神的に追い詰められていたと回顧し、当時共同生活をしていた藤澤に隠れ「泣くのはお風呂だけって決めてました」と涙していたことを打ち明けた。
そんな若井の様子を「知らなかったです」と話す藤澤も「毎日のように泣いてました」と辛かった日々を振り返った。
ミセスが大幅に舵を切る時
ここで一度問いたいことがある。
彼ら自身、変化をすることに対して不安はなかったのだろうか?
ENSEMBLE TOURのMCを思い出してみてほしい。
終盤のMCで「ENSEMBLE」というアルバムおよび今回のツアーについて大森はこのように語った。
普段取り繕っている分、曲の中ではありのままの自分を出しているため、制作中は悲しい気持ちになるのだと。そういう作り方はもうやめようと思った時期もあった(サママのこと)が、実際出来た「ENSEMBLE」は「TWELVE」同様、華やかさの裏側の、悲しみ・苦しみ・切なさ・つらさまでもが曝け出されたアルバムになったのだと。そのため「このぐらいやらないとエンターテインメントとして成立しない」と思い、今回のような方向性に舵を切ったのだと。
大森が大幅に舵を切る時はそう、彼自身が現状に悩み苦しだ証であり、その結果の決意と努力の結晶なのだ。
変化することに対して、彼ら自身に、抵抗感や不安がなかったと、果たして言い切れるだろうか。
絶対にそうじゃない。
彼らなりに悩み、苦しみ葛藤し、導き出した結論。
それが今のミセスの在り方。
私はもちろんドキュメンタリーとかそれ以外の所でも感じたけどやっぱり、フェーズ2開幕して初めてファンの前に立ったUtopia。
あのライブで、ミセス3人の再開への葛藤を色濃く感じた。
滅多に泣かない大森は、アンコールでのMCで、涙を見せながらこう語った。
ー ステージ上で涙した後 ーーーー
大森「すごく怖かったよね、走り出すのね」
藤澤「そうだね」
大森「うん。あの……. 真面目にやりすぎて活動してきたものですから、自分で言うのも変だけど、すごく辛かったし、休みたいって言っちゃったし、なんかいなくなっちゃう人とか出てくるし」
決して生半可な気持ちで、フェーズ2を開幕した訳じゃない彼らは絶対に。
血反吐を吐くような努力と、強い覚悟をもとに。
再びミセスは走り出した。
フェーズ2の変化は、それだけじゃない
フェーズ2で、大森は少しずつ己を肯定できるようになった。
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フェーズ2開幕後の初のミニアルバムUnitiyのラストで「誰かに愛されたい」と叫んでいた大森は、
ANTENNAというアルバムを「私はきっと愛されてる」という歌詞で締め、最新の楽曲ライラックで「僕は僕自身を愛してる愛せてる」と綴った。
分からない。本当は不安に駆られ、眠れない夜もあるのかもしれない。
だが少なくとも歌詞の中で、彼は包み隠さず、自分自身を愛せてると言ってくれた。
その事実が、ちょっぴり寂しいけど、涙が出るほど嬉しい。
それはデビューから11年経ち、彼らが大人になった証なのだと思う。
君に居て欲しいんだよ 私の中の「寂しさ」を
その心とその眼で 救い出してよ
彼らの核
彼らは変わってしまった、そう言うけど、彼らの根本は変わっていないのだと私は強く思う。
曖昧だが、揺るがない根拠がある。
それは我々が未だに彼らの音楽に惹かれてやまないからだ。
ミセスは変化した。高みへ進化した。
それでも、彼らを愛してやまないのは、一貫して私たちに寄り添い共に涙し、救いの手を差し伸べてくれるから。
普段は華やかなメイクと衣装でファンを魅了するミセスだが、歌詞は飾らず、等身大で、私たちに寄り添ってくれる。
理想論を提示するのではなく、あくまで等身大。
大森の弱さが滲み出るような歌詞、それでも仄かに薫る、希望の光。
ずっと一貫している、ミセスの楽曲でしか感じられない感覚、世界観。
ミセスはロックバンドじゃなかったのか、と言う声がSNS上で溢れているが、ミセスの核はロックだけではなかったと思う。昔からバラード、ポップ、様々なジャンルに挑戦していた。
彼らの軸は、大森の世界観であり音楽であり、その直向きに努力する彼らの音楽に対するストイックな姿勢であり、大森の「思っていないことは書かない」と言う強い信念だと、私は強く思う。
彼らはいつも、私たちが求めている言葉をくれる。
愛というのは目に見えなくて、多忙な日々でどうしても忘れてしまいがちなもの。しかし彼らの音楽は、そんな私たちに愛を与え続けてくれた。
愛を探し求める私たちに、人間の醜さに怯える私たちに、心が疲れ切ってしまった私たちに、一緒に愛を探そうと、生きてみようと、言ってくれた。
先ほど触れたように、ミセスの歌詞には愛というフレーズが散りばめられている。11年間「愛」という壮大なテーマを歌い続けたMrs. GREEN APPLE。
ただ同時に、大森が1週間、ほぼ食事も摂らず、暗い部屋に篭りきりでSoranjiという楽曲を制作し、体重が5キロも落ちたというエピソードからも分かるように、人間の醜さや不条理に向き合うのは、そこから音楽を紡ぎ出す作業は、想像を絶する葛藤と苦悩があっただろうと安易に想像できる。
それでも彼らは歌い続けた。
歌い続けたからこそ、愛された。
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彼らの優しさ
強く強調していきたいことがある。
それはミセス自身「ファンに変化を受け入れることを強要していない」という点だ。
Atlantisというライブで大森は5万人のファンを前にこのように話している。(Atlantis参戦されてない、映像見られていない方はネタバレになってしまいます、もし見られてない方がいたら、一度大森さんの口からこの言葉を聞いてみてほしいな💦)
僕もすごく敏感だから、思うこともあるしすごく分かるんだけども。やっぱり形態も変わったり、僕と若井が16から組んでますから、10年もやっていれば、価値観だったり考え方も、普通に人の成長と共に変わる訳なんですけども。「あの頃が良かった」だったりとか「いつの何が良かった」という風に、10年やっていればそういうの必然的に出てくるんですけど、そういう声も。でも、あの。全然すごく僕らにとっては嬉しい声で。僕らは変わったりしてないし、でも多面的になろうとしたし、なろうとしているし、多面的になったんだなってすごく思います僕自身。それはやっぱり必然的な変化だったりもするし、でも僕らはどの場面だとしても、その頃の僕らを切り取って好きだと言ってくれれば、僕らはもう本当にそりゃあもう十二分なんだよね、嬉しいんですよとっても。僕らが歩いてきた軌跡をそうやって好きだと言ってくれる人たちがいるというのは本当に嬉しいし、これからもそういう素敵なページを皆さんと一緒に作っていけたらなという風に思っています
このMCを初めて聞いた時、自分でも訳が分からない程、嗚咽して泣いた。
昔の楽曲に対して、度々「この歌詞を16で書いたの天才すぎる」というコメントを耳にする。全くその通りだと思うが、同時に、その歌詞は、16だったからこそ紡ぎ出せた歌詞、なのだと思う。
彼自身も、その時にその瞬間の感情のぶつかり方でしか、書けない歌詞が、生み出されない音楽があって、逆に20年後、彼は今のミセスのような歌詞が書けなくなっているのかもしれない。
彼が言ったように、時と共に考えは価値観は変化し、大森にとって表現方法である、音楽も変化する。
賞賛と同時に、これは包み隠さず書いておきたい。
私はフェーズ1の、汚い世界で綺麗なものを探し求める、大森元貴の歌詞が大好きだった。(パブリックのコメント欄見て強く共感したから言葉をそのまま使わせていただきます)
時折無性に恋しくなる時もある。
フェーズ2になって、大森の新たな価値観に直面して、ミセスと同じように私も大人にならなきゃ、孤独も受け入れて自分を愛せるようにならなきゃ、そうじゃないとミセスの音楽を理解できない。と生き急いでいたけど、でも彼ら自身が、それでいい、そのままでいいと言ってくれるのなら、と救われる気がするのだ。
そして私はもちろん、今のミセスも大好きだ。
語っても語り尽くせないくらい大好きだ。
ミセスというコンテンツは、残念ながら無限じゃない。
いつか終わりが来る。
彼らが、自分たちのやりたいスタイルで、自分たちの表現したいことを、私たちが愛する彼らの音楽を、届けてくれていること。
それって、この上なく幸せなことだと思う。
ロックだからとか、ビジュアルが素敵だからとかではなく。
彼らは、私が辛い時、死にたいと思った時、救ってくれたから。背中を押してくれたから。
それが何よりも、彼らを一生をかけて愛したいと思える理由。
だから私は、これからも彼らを応援し続ける。
追記:アボロドロスで、もう聞けないと思っていた大森元貴の魂の叫びを聞いた。もう…… あの、生きててよかったです。
最後に、本音。
(感情の赴くまま、殴り書きです。敬体で書いています。ガチ本音ですし、私の言っていることは完全にファンのエゴで、肯定されるべきじゃないと思っています。見たくない方はスキップして下さいね)
ミセスのファン層は確実に変わってきています。
それは、ミセスがより国民的バンドに成長したことで、より広く知られるようになったこと、そして、ミセス側のプロデュース、売り出し方の変化、この二つが要因だと思う。
広く許容することは大切。
大森さんが以前言及していたように、ミセスにとって、今は間口を広げて奥行きをつけていく時だから。めっちゃわかる完全同意。
俗に顔ファンと呼ばれる方々が今のミセスファン界隈で一定数存在しているのは、ミセスがフェーズ2で、楽曲だけではなく、新たな側面を見せてくれて、活躍した証だと思っているし、それでミセス自身新たなファンを獲得したのだと思う。ペンライトもチェキもそう。
その点にに否定する気持ちは全っっっくないのだけど。
7月16日のインライの「衣装が好き、顔が好きなだけでもいい」と言う大森さんの発言に。
私たちが何より愛し世間に届いてほしいと思っている大森の音楽を、ミセス自身が第一に考えていないというか、疎かにしているようで、なんだかそこが苦しかった、です、私は。
ホワンジの件もそう。
自分たちの大好きな音楽が正しい形で伝わってほしい。
そう願ってしまう。
でもこれは、完全にファンのエゴで。
ミセスダンス上手いよね〜って言われたら、上手いよ????めちゃくちゃかっこいいよ?????でも、この曲も聴いてみて!!!!!!!!
って、アプリオリを、Part of meを、差し出したくなっちゃうよねって。
顔ファンに対して疑問視するJAM'Sの声の大半が、その応援の仕方を否定するというより、ミセスの音楽を愛するあまり、その層は、あなたが1番伝えたい音楽を汲み取ってくれないんじゃ、という不安から来ているんだと思うんです。
ミセスの本質は、ロックでもない、大森の世界観であり音楽であり、彼らの音楽に対するストイックな姿勢だと思っていたから。
貴方たちの音楽が、紡ぎ出されるミセスの生命力が、大好きだから。
アンサンブルツアーのMCで、楽曲制作中、どうしても悲しく寂しくなっちゃうと、本音を明かしてくれた貴方だから。
Soranji制作で、5キロも痩せちゃうような貴方だから。
手がボロボロになるまで練習しちゃう若井や涼ちゃんがたまらなく愛おしいから。
身を削ってまで届けてくれている音楽が、書き綴られた貴方の遺言が、届いてほしいと。願ってしまう。
ミセスで一日が始まり、ミセスの音楽と共に床に就く。暇を見つければ、彼らの曲を聴く。そんな生活をもう何年も続けていて。
ミセスは、どんな時も寄り添い、元気をくれる精神安定剤であり、日々の生きる原動力で。
そしてこれは私だけじゃない。何百万人という人、一人ひとりが、ミセスの音楽を愛し、救われてる。
貴方たちの音楽大好きだから、伝わってほしいと願っちゃうんだ。
でも。こんなこと言っても、7月16日のインライを聞いても尚、ミセスは根本では、伝えることを諦めてないって、信じてる。
最初はビジュアルとかメイクとか衣装から入ったファンの方でも、最終的には彼らの魂の音楽にも惹かれていくんだよきっと。
だってミセスだもん。
これは11年間ミセスが音楽と真摯に向き合ってきたからこその、ファンの勝手な信頼とエゴです。
その力がミセスの音楽にはある。
追記:私の文章が稚拙で伝わらず不快に感じられた方もいらっしゃったかと思うのですが、ミセスが新規ばっかり擁護する😭って言いたかった訳ではいっっっっっっさいなくて。(私は新規でも古参でもないので)
ミセスはどんな愛し方でも肯定してくれていて、
でも、そういう声が上がるのは、ミセスが身を削って届けてくれている「音楽」を何よりも大切にしたいってファンが思っているからだよねってことが言いたかったです!
長文すぎました……… こんな稚拙なファンの文章をここまで読んでくださった皆さんは本当にミセスがお好きなんだろうな。
一緒にカラオケ行って、ライブ映像見ながら歌いたい🍏
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
皆様の毎日が穏やかな幸せで満ち溢れますように。