#114 国分寺跡史跡を守る意義
◆6月17日 海老澤萌模奈人氏(東京工芸大学)
史跡と周辺環境を守る意味
◆9月16日 増井有真氏(国分寺市教育委員会ふるさと文化財課 文化財保護係長(学芸員)
聖武天皇の願いがこめられた国分寺
〜国分寺の建立と史跡武蔵国分寺跡の保護のあゆみ〜
◆10月21日 海老澤模奈人氏(東京工芸大学)
続・史跡と周辺環境を守る意味
史跡国分寺跡47自治体へのアンケート結果の報告
相模国分寺跡の景観を守る会(SKK)による上記3回の学習会で、史跡とは何か、史跡を守ることの意義について、などを学んできた。
相模国分寺跡の特徴として、海老澤教授の資料にはこうある。
・天平13(741)年の「国分寺建立の詔」によって建立された寺院跡。
・法隆寺式伽藍配置である。東西240m、南北300m以上という広大な寺院。
・大規模な七重塔(推定高さ65m)や金堂・講堂など、諸国の国分寺の中でも最大級。
・大正10(1921)年に国指定史跡(国分寺跡としては最初の例の一つ)
・国分寺(国分僧寺)と国分尼寺がともに国指定に指定。
全国の国分寺跡のうち史跡指定されているものは48か所あり、その中でも貴重な存在であるとのこと。
そして、それぞれ条件が異なるので単純に比較することはできないが、様々な形で開発の影響を受けているようだ。しかし、アンケートの結果、相模国分寺跡の例のように、隣接地に民間の企業による高層マンション建設計画の事例は1件もなかった。
全国の国分寺跡の実態を知った上で、相模国分寺跡について次の4点を確認しておきたい。
⚫相模国分寺跡は奈良時代の歴史を学ぶ上で、かなり重要なものであること。相模国分寺跡史跡の重要性を理解しているならば、隣接地に高層建築物を建設しようなどとは考え付かない。
⚫今日、相模国分寺跡公園として整備されているが、数十年前までは野原だった。それを海老名市が発掘調査をして歴史公園として整備した。温故館も充実したものとなった。海老名市は多額の費用(税金)を遣い、市の職員も相当頑張ったからこそ今日の姿がある。海老名市民と海老名市が今まで築いてきたものを尊重すべきだ。
⚫地元の人だけではなく、広い範囲からの利用者がある。つまり、この景観は地域を越えた多数の人たちの共有財産となっている。一握りの人たちの利益のために景観を損なわせることなどあってはならない。
⚫史跡等は地域のアイデンティティを創出している。今回の相模国分寺跡隣接地高層マンション建設問題は、地域のアイデンティティに関わることでもある。この「地域」とは海老名市とも神奈川県とも国とも捉えることができる。違和感を感じるという、人々の精神的な損失感を考慮すべきである。
この4点を明和地所が把握・理解しているならば、隣接地に高層マンションなどを建設しようという計画を立てることはなかったはずだ。残念ながら、明和地所は4点すべてを把握していなかったとしか思えない。
この4点は、「相模国分寺跡史跡を守ることは、決してローカルな問題ではない」ことを示している。ましてや、地域エゴなどいうレベルの話ではない。そもそも、地域エゴという言葉は、同じ土俵に乗ろうとせず議論を避ける者が遣うものだ。相手との議論を拒否するときに遣う言葉であって、人と議論して理解し合おうとするときに遣う言葉ではない。
今回の件が切っ掛けとなり、相模国分寺跡史跡の重要さは、今後ますます広く国民に知られていくだろう。海老名市も史跡公園として、より充実させていこうとしている。もし明和地所が建設計画を変更せず、または「小規模」変更で高層マンションを建設するようなことがあったとしたら、建設後、明和地所への批判はますます強くなっていくことだろう。
(23.11.2)