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「詩画集」詩・うめだけんさく氏 画・すずむらみのる氏
うめだ氏が毎月刊行する個人詩誌「伏流水通信」百号発行及び鈴村氏の「ウクライナ支援巡回展」完結を記念し、二〇二四年十一月に発行された特別号である。
表紙を飾る鈴村氏作「復帰」は蝋燭の灯と十字架を思わせる白いオブジェであり、静謐な祈りが感じられる。 副題の「見るを見る 知るを知る 私のウクライナ」は、うめだ氏の詩「破壊の記憶」二連目冒頭の印象的な詩句による。
「残された者たちの涙の目を見る」我々は「忘れてはいけないを知る」ことから逃げてならぬ。
表紙のうめだ氏の詩「義足の少女」を紹介しよう。
ロシアのミサイルが飛んできて/瓦礫の下敷きになったウクライナの少女/左脚下から切断された新体操のサーシャ/義足の脚でも踊れると練習する姿に/海を隔てた地から手をたたく
理不尽な戦争の犠牲となりながらも、前巻きに生きるウクライナの少女。その「不屈な意思」への称賛にあらゆる読者は深い共感を覚えるであろう。
掲載されている詩は一貫して「無慈悲な戦争」に「無言の言葉をただ遠くから投げることしかできない」と苛立ちながらも、「瀕死のウクライナ」の「闘いの苦しみ」に寄り添い「心を一つに」「平和のとき」を求め続ける。酷い戦争を生き抜かねばならぬ弱者に向けられた温かい眼差しと深い平和への祈りに、立ちすくむことなく伝え続けようとする詩人の強い意思と願いを感じる。
うめだ氏の詩とあわせ、鈴村氏の水彩による美しいウクライナのスケッチ、オブジェ等の作品が掲載されているほか、建築学者、写真家でもあるガリーナ・シェフォツバ氏の活動など、過去の「伏流水通信」に振り返るウクライナ支援に関する動向も纏められている。
「ひとりの人間のすることに限界があることは分かっていてもそれでも書くことには、それなりの意味があると信じたい。…悩みは尽きないが、どう表現したらよいか、それを悩むことも必要なことと思う…」
己の無力を嘆き、詩を紡ぐ意義を見い出せなくなっていた私に、うめだ氏がかけてくれた言葉である。「伏流水」の清き流れを描く澄んだ眼差し、ウクライナから目を離さぬ詩人が発し続ける言葉から多くを学び続けてゆきたい。
※本稿は『夢みたものは』第6号、「ヒヤシンスハウスの窓から」に掲載予定です。