「妖精系男子」
近辺に大学が多いから、図書館行ってもドラッグストア行っても、あるいはただ単に散歩しているだけでも、学生を見かける。私は若い男を目に入れるのが好きだからありがたい話なんだけども、このごろ中性的でいかにも可愛らしい男子(妖精系男子)を見る頻度が高くなってきた。これは「気のせい」なのかしら。もっぱら私の目がそんな素敵男子ばかりを欲しているからそうなるのかな。
たしかにこれは入念な定点観測や統計上の結論ではなく、印象的経験論の域を出ないかも知れません。けれどもいちおう私はこれでも元大学生で、大学生でなくなった後も「学生街」と呼びうる住宅地に十年以上も住んでいるのだから、かなりの自信を持ってそう感じているのだ。ちなみに東京じゃありませんよ。東京の人は知らないかも知れないが、東京以外にも「素敵男子」はたくさんいるのです。
さしあたり私が「妖精系男子」と呼んでいる素敵男子たちについてのごく恣意的な「定義」を並べてみます。
・ヤングアダルト、わけても高校生と大学生
・とにかく童顔で中性的で優しそう(「幼形成熟」感)
・だが「子供」に特有の自我中心性はない
・基本的には細身で小顔
・「Toxic masculinity(有害な男性性)」をほとんど感じさせない
・最近では「マッシュ系」の髪型が多い
・その後年齢を重ねて「おやじ」になると想像することが難しい
・「性欲がある」と感じさせない(というかあって欲しくない)
・だからといって「オスの色気」がないわけではない
・頭の天辺から足の爪先まで「人畜無害」
・体臭がなさそう
・雑踏のなかでは彼の地声を聞き取るのが難しそう
・痩せているので黒のスキニーパンツが似合う
・というか何を着ても似合ってしまう
・「存在の輪郭」が曖昧で、ふわふわしている
・二十歳越えているのに子鹿みたいな眼をしている
・その妖精的色気によって男根的色気が打ち消されている
・お尻が小さい
・タバコや酒や風俗店はとうぜん知らない
・ただそこに目的もなく存在しているように見える
放っておくとこのまま私の「美少年論」になってしまいそうだからもうこの辺にとどめておきます。ただ「妖精系男子」は必ずしも「美少年あるいは美青年」である必要はないのだ。いずれこの点についても究明するつもりだが、美少年というのはその存在自体がポエジーであり、空想上の存在類型であり、「肉体的存在者」であってはならないのだ。いっぽう「妖精系男子」は往来でいくらでも発見することが出来る。書を捨てて街に出れば必ず一人や二人くらいは見ることが出来る。街を歩いている無名の「妖精系男子」だけを撮った写真集を出せば売れると思いますよ。俳優とかジャニーズといった、消費者に媚びることをその本務とする「商品系男子」にはほとんど魅力を感じられない私のような人間が、世にはあんがい多いから。アイディア料なんかいらないから誰かやってください。枕の下に敷いて寝たいので。
ここであえてプラトン的世界観に一部則っていうなら、彼ら「妖精系男子」は「美少年の美」のイデアを多少なりとも分有している地上的実在者なのですよ。だから「私たち」の一部は、妖精系男子をみかけると魂の喜びを感ずる。とくに、「大人」というものを「汚れたもの」と見ざるを得ない私のような人間にとって、彼ら「妖精系男子」ははるか天上の美的秩序をわずかながら想起させてくれる存在なのです。
こればかりは残酷な願望に違いないのだろうけど、これら「妖精系男子」がこんご「おやじ(大人の男)」になり下がっていくことを私は認めたくない。まったく許せない。まして「ジジイババア」という「死に損ない(老醜)」に成り果てるなんてことは考えただけで気分が悪くなる。かりにも「妖精」なんだから、薄汚れた賃金労働者あるいは家庭人といったようなものになど「堕落」してほしくない。誕生してから三日しか生きられない「かのような」薄命の妖精、という役柄を全うして欲しいのだ。多少なりとも「美」に恵まれたものはいずれ生贄の祭壇に捧げられねばならないのだ。
人というのは厭世が昂じるとこの憂き身を慰めたいばかりにどんな妄想でも紡ぎだしてしまうものなのですね。