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2022年観劇メモ(下半期)

前編に引き続き2022年の観劇記録。

自分用の取るにたらない感想メモ&アルバム的noteなので、前編同様、途中から有料にしてあります。買う人はまずいないと思いますが、間違っても買ってはいけません。確実に損させます。

下半期雑感

上半期同様、ベスト3を選ぼうかなと思ったのだけど、上半期分の公開部分を書いたら、力尽きてしまったw 下半期はかなりストプレが豊作だったので、絞るのがなかなか難しかったのもあり、雑感だけパラパラと残しておく。

ストレートプレイもろもろ

テーマとしては『導かれるように間違う』『歌わせたい男たち』が今の世相に通ずるものが大きく、わたしにはガツンと響いたし、『住所まちがい』の演劇的な面白さも忘れることはできない。
閉じられた空間で人物たちが対話を繰り広げるという、ごくシンプルな作劇ながら、不条理とも、いくつもの意味があるとも取れ、対話を通してその深みに潜っていくような。どこにたどり着くともしれない、状況の展開もしない、ただ対話があるだけで、これだけ魅せるのかという驚きがあった。
そして、NODA MAPの『Q』も、言わずもがなの名作で外すことはできない。出演者も皆、とても素晴らしかった。
こまつ座の『頭痛肩こり樋口一葉』は、若村麻由美さんの変幻自在な芝居に相変わらず惹きつけられた。そして、井上ひさしの描く「小さな良心」が、わたしにはとても大事なものなのだと改めて感じさせられたし、これからもあたためていきたいものだった。

そのなかでも特に素晴らしかったのが、フランスオデオン劇場制作の来日公演『ガラスの動物園』。2021年冬に東宝制作版を観ていたばかりということもあり、差を見せつけられたという気がする。

わたしはイヴォ・ヴァン・ホーヴェの演出作品を観るのは初めて。『ガラスの動物園』自体、テネシー・ウィリアムズの名作戯曲であるけれど、戯曲の力に依存するのではなく、演出が本来の役割を果たすことで、これだけ現代に生きた物語として、舞台の解像度が変わってくるのかと圧倒させられた。

家族の記憶の物語であるのに、家具も道具も限られ、外部と通じる出口もほぼない、色彩を抑えた閉鎖的な地下空間。壁にはいくつもの顔が、見るともなしに登場人物たちを眼差している。
今、舞台に立ち上がっているものが、トムの主観的な記憶のなかから紡ぎ出されているものなのだと、次々とピースがつながり、見える風景が変わっていく。隅にうずくまるローラの後ろ姿、畳み掛けてくるような母親の言葉の圧──トムの見てきた風景 / 印象を、確かに追体験しているような感覚があった。

何より、このローラには足の障害がないことに驚いた。長く美しい足を露出していて、歩くにもそれを引きずることはほとんどない。だから、ジムとのダンスシーンも、彼女はただ一方的にエスコートされてはいなかった。いったん踊り方を教えてもらったら、彼女の身体は自ら動き出す。それはもう、二人で激しく踊り狂っていた(激しすぎて、そりゃガラスも割れちゃうよ!感がすごい)。

ジムがローラをエスコートし、さながらナイトのように"内向的な少女"に寄り添い、陽の当たる方へと導こうとするのではなく、ジムはローラを対等の人間として見つめ、その上で、敬意を抱くようになるとさえ感じられた。ただ「好きだった相手」だからではなく、ジムのそうした態度が前提となって、ローラも自らの心を開くことができたのだという納得感がある。
このローラは、社会に適応できないからといって、庇護されるべき可哀想な女の子ではなかった。ローラがジムに角の折れたユニコーンを渡す意味が、私にはまったく変わって受けとれた。

名作ゆえに、キャラクターのイメージがある程度できあがってしまうのは、ある程度どうしようもないことだと思うのだけれど。すでにあるイメージの「再現」だけに終わらない、役者にもそれを背負わせない。一流の舞台のクリエイションを、こうして日本で観られたことが、本当に有り難く、幸せでした。
コロナ禍のさなか、中止ではなく、延期という形を取り、上演を諦めずに奮闘してくださった関係者の方々に改めて感謝します。

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