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距離

過去と決別していかなきゃいけないと思うことが増えた。それは良いものも悪いものも両方あるのだけれど、とても長い間苦しめられていたというか、心の奥底にあるしこりのようなものに、痛みを抱えながら生きていたなと、後ろを振り向く度に思い出すんです。

自分では当たり前だったことが周りはそうではなかったこと、大切にしていたつもりが相手はそう感じていなかったこと、ちゃんと話し合っていれば誰も傷つける必要がなかったこと。

周りに合わせれば合わせるほど自我がなくなっていくような気がしたし、そこで自我を出した瞬間に浮いてしまう気になった。大切にしたいと思えば思うほどどんどん遠くなっていく人たちを見ながら、ああ、僕はここに居てはいけない存在なんだと、じんわり気づいていきながら、何度も希望を探し、何度も絶望した。
大切であるならば、適切な距離から見守るように、大切だからこそ手に触れられるような距離に置いてはいけないのだと思うようになった。


ずっとあえて距離を離していた人と、最近話す機会があった。まだ僕たちの心が幼かった頃、僕たちは何度も傷つけあって、関係ない周りの人たちを巻き込んでしまったことがあった。ちゃんと話し合うことさえも出来なくて、また自分が傷ついてしまうんじゃないかと恐れ、話すことさえままならなかった。

自分を許すことと、相手を許せることは隣り合わせだ。僕がそう思っていたように、相手も同じことを思っていた。理由はただ僕たちが単純で幼かったからだ。人との関係性を保っていくことについて、何も分かっていなかった。久しぶりに話す僕たちは大人になっていた。世間がコロナ禍になった頃、僕たちが話す機会はどんと減ってしまった。数年ぶりにまともに話した僕たちは、もう随分大人になっていた。ちゃんと向き合って、言葉を交わすたびに垣間見えてくる過去の記憶を、懐かしむことも出来るようになった。
その人とと一緒にいたこと、楽しかった記憶を過去形でちゃんと受け入れられるようになった。
こうしてちゃんと向き合って話し合える日を、ちゃんと自分の気持ちを言語化して理解しあえる日を、ずっと願って待っていた。その日が来るまでお互いに生き抜けて良かった。心の底から嬉しい。



もう離れてしまった人たちの幸せを願えるようになった。たまに思い出す記憶に後ろ髪を引かれるようなことはあるけれど、今こうしてここに生きている以上、いつまでも過去に取り憑かれている自分ではいけないこともわかっているから。



君ってメンヘラだよね。と言っていった旧友の言葉を思い出した。全然そうじゃない。ひたすら人のことが大好きで、人のことが嫌いなだけだ。

俺は旧友のことが大好きだった。東京に行く度に会える彼が大好きだった。それは恋愛的な意味ではない。人として彼のことを心底信頼していたし、彼さえ居れば良かった。彼だけが寄り添ってくれた、彼だけが俺のことを理解してくれていた。
始まりがあれば、終わりがある。その終わりは来ないと思っていた、連絡が取れるという環境が当たり前になっていた。それでも終わりは突然やってくる。

最後に彼と話したのは、色んな近況報告をしながら、「ちょっと遠いところへ行ってくるよ、お互い大きくなって会いてえな。」という電話だった。

もう2年が経つ。LINEには何度もメッセージを送ったし、もちろん電話もかけた。変わっていない電話番号はコールがかかるけれど、出ることはなかった。

ちょっと遠いところへ行ってくるってなんだよ。大きくなったら会おうぜっていつなんだよ。俺は、俺とお前が好きなアーティストと一緒に仕事もしたよ。色んな場所で人並みに揉まれながら生きて、昔と比べて大きくなったよ。それでも連絡一つ寄越さないのはずるいよ。お前と終わったなんて思っていない。俺はまたお前と酒が飲むことができればいい。また表参道の美味い店行こうよ。昔よりビール飲めるようになったからさ。麒麟の中瓶頼んでさ、限界なのに飲めないって言っても注いでくるお前に会いてえよ。
もっと大きくなるからさ、お前が嫌でも見つけられる場所まで上るからさ、俺頑張るからさ、その時は連絡くれよ。頼むよ。メンヘラかもしれないな、お前にだけは。お前だけは嫌いになれないんだよ。



誰かが僕に対して受ける印象は、変えることもどうすることも出来ない。その印象を上書きするような生き方を、僕がしなくちゃいけないと思います。もう昔のような弱い自分でもないし、しみったれた遊びをするような自分でもない。適切な距離で生きることの最適解を、それぞれに見つけていかなくちゃいけない。今そばにいてくれる人たちの気持ちを大切にしていくつもりだし、誰も置いて行かないように生きたい。大切だからこそ、いつでも手に触れられるような場所に僕は居てはいけない。






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