「エッセイ」布団から〜遠い記憶〜#シロクマ文芸部
布団から青白くなった主人の顔だけが、見えた。
5年前の4月23日
春のどんよりとした晴天の中に遅咲きの桜が、散り際を忘れたようにぽつりぽつりと咲いていた。
カーテンで遮られた二人だけの空間の中で、別れの時が刻一刻と迫って来るのが分かる。
繋がれた心臓のモニターだけが、貴方が生きていることを私に伝えている。
今まで生きてきて祖父や祖母は看取ったが、自分一人で愛する人の最期を見守るのは初めてだった。
死は白い。
何故だろう。私の記憶の中で「死」は絶対に白いものとして刻まれている。
白い病室、白いシーツ、医師の白衣……
『かなしく白く明るい死の床で』
高村光太郎のレモン哀歌のこの一節だけが、私の脳裏で反芻される。
植物人間として七年半、生きてくれた主人の身体は何処もかしこも形を変えて、その壮絶な病との闘いを私に伝えてくる。
落ち窪んだままの頭蓋骨、狭くなった肩幅、右手は45度の角度に曲がったまま固まってしまって戻らない。綺麗な歯並びが好きだったのに、丈夫だった歯は全て内側に引っ張られ口を閉じるさえ出来ない。脚は棒のように細くなり足首は突っ張ったまま、やはり内側に曲がってしまった。
喉に空いた気管切開の穴からは、元気な時はヒューヒューと音が漏れていたのに、今は痰だけが其処に塊まっている。
布団から、冷たくなっていく主人の上半身を引き摺り出して両腕で抱き締めた。
布団から
布団から
布団から
そうやって、主人の人生の終止符を身体で受け止めている気になった。
自己満足だったかもしれない。
感情は見事なまでに粉々に爆発して壊れた。
布団から貴方の魂が旅立って行くのをただ待つしか出来なかった。ううん、もう魂は、とっくに旅立っていて抜け殻になった貴方の器を私は守ってきた番人だったのかもしれない。
それでもなんでも愛しくて、見つめ続けた日々が終わりを告げようとしていた。
お世話になった担当医が、
布団から貴方の右手を出して形ばかりに脈を取った。
瞳孔は七年半前に開いているからテレビドラマのように確認はしなかった。
ああ、何故こんな事ばかり覚えているのだろう。
「お支度をしますから外へ出て、待っていてください」
お支度?
死への旅路の?
綺麗に身支度を整えられた貴方は布団を掛けられたまま衝立てで隠されながら、霊安室へ運ばれた。
完
こちらの企画に参加させて頂きました。
小牧幸助さん、よろしくお願いします。
この経験を書くのに私には5年間の歳月が必要だった。
でも主人は私が「書く」ことが好きだった。いつも私のブログを読んで笑ったり感動したりしてくれていた。「sannちゃん、すげぇ~な~」って。
だから色々な形で主人の軌跡を此処にゆっくり綴っていけたらと思っている。
このような希望のない記事を読んでくださった皆さんに感謝します。