#哀しみの三本柱#青ブラ文学部
「哀しみの三本柱」
12月の空は透き通るようにどこまでも高く碧く、そのなかに純白の雲が一つふわりと浮いていた。
救急車の硬い椅子に座った私は意識を無くして、一筋のよだれを垂らした主人の手を握り締めながら、
「悲しいほどお天気ってユーミンの歌だっけ?」
ぼんやりとその雲の行方を目で追っていた。
どうやら私の脳は衝撃的な哀しみに遭遇すると何か別なことへ思考を転換するらしい。
あんなに哀しいと感じた夜はなかった。
いつも哀しい時は浴槽に沈んで泣き声が家族に聞こえないように号泣するのに、それさえ間に合わず、私は布団の上で身体を折り曲げて慟哭した。その声に起きてしまった父は私に
「まだ終わったわけじゃないよ。まだ、まだまだこれからだ」
そう言って子どもの頃のように私を抱き締めた。
主人がくも膜下出血で倒れて植物人間になった日、あの日とそれから四日後のクリスマス・イブに医師から
「死か脳死、よくて植物人間です」
と告げられたあの夜が、私の人生の中で一番哀しい日だったと思う。
主人が亡くなった瞬間も火葬される時も、記憶を失くすほど哀しかったけど、あの比ではない。
愛犬のゴンが最期の声を上げて私を呼んだ時も哀しかった。
二十歳の老犬だったから、普通なら老衰で大往生のはずなのに、あの仔は最期の最期まで生きようとしていたのが私に伝わってきたから。
私の哀しみの三本柱の一本目は、
1、愛する人(ペット)を喪う時
これ以上の哀しみはないかもしれない。もし、これから再び大好きな人が私の前に現れて、私を受け入れてくれたとしたら、毎日毎日「大丈夫?」って聞きたい。
「病気になりたくてなる人は居ない」
でも今度こそ、天寿を全うするまで添い遂げたいと思っているから。
2、私自身の存在の喪失
今日はちょうど「敬老の日」だ。
「老いる」ことは自然の法則だから仕方がない。でも、自分自身が分からなくなるのは哀しい。
自己の主張が出来なくなって、ペンを持つことも愛する人も分からなくなったら、それはとても哀しいことだと思う。
認知症は、その哀しみさえ分からないと言うが、私はきっと分かると変な自信を持っている。
認知症とは違うが、私が共感したミルコさんの記事↓
人に嫌われるよりも、誰からも無視される「とうめいにんげん」になったら、人間稼業をやめたいと思っている。
3、要らなくなった時
欲しくて欲しくて堪らずにずっと思いを馳せていたものが手に入った時の喜びは、はかり知れない。
その欲しかったものが壊れたり失ってしまった時も哀しいけれど、心に「想い出」が遺っている。
本当に哀しいのは、ずっとずっと大好きだったものが、気付くと自分にとって要らなくなっていた時だと思う。
それにふと気付いた時の哀しみを私は未だに文章で書き表せない。
山根あきらさんの企画に参加させて頂きます。
よろしくお願いします。
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