初めて切なさを覚えた日#青ブラ文学部
そもそも先ず「切なさ」とはなんだろう?
今まで私は「切なさ」は、悲しさや辛さよりも少し不幸の度合いが低い「やるせなさ」に似たような感情だと思ってきた。
絶望的な心を鷲掴みにされるような痛みではなくて、ちょっぴり味わいが残るような余裕のある心の痛み…そんな風に思っていた。
例えば、秋の夕焼けに片思いの人を一人思うような、冬の寒さに渡せなかったチョコレートを悔やむような…
ところが、「切ない」と「悲しい」を調べてみると、私の今までの認識は違っていたらしい事が分かった。
「悲しい」は「胸が痛くなるほどの辛い状況」で、「切ない」の方がより辛さが強調された言葉。
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そして特徴は「悲しい」は取り返しがつくが「切ない」は悲しみの後に訪れる取り返しのつかない感情らしい。
以上を踏まえた上で、私の「切なさを初めて覚えた日」を思い出してみたいと思う。
あぁ、あの日だ、多分…
Sくんの弔事を読んだ数日後、教室のドアから出て行く彼の笑顔が思い出されて堪らない気持ちに襲われた。
いや、今も脳裏にはっきりと浮かんでくる。笑って私に手を振ったSくんのはにかんだような笑顔…
何をどうする術も持たなかった。
私の席の前に飾られた白い花の花瓶を見つめながら、13歳だった私は、どうやってあの悲しみの後から訪れた切なさを乗り越えたのだろう。
あの日がきっと私が「切なさ」を覚えた日に違いないと思う。
指の第一関節が折れて再び付くとその箇所は強くなると聞いたことがある。心に沢山の種類の違う切なさを抱えると「心」も強くなるのだろうか?
分からない。
分からないけど、心が強くなったからと言って、鈍感な感性にはなりたくないと思う。
強さは優しさをきっと運んできてくれる。
山根あきらさんの企画に参加させて頂きます。
よろしくお願いします。