哀色が愛色に変わる時まで#色見本帖
秋になると、どうしてこんなに空が高いのだろう?物理的には同じだって?
聞いてない(笑)
空の青は蒼に変わり、やがて碧になる。
私が見たあの日、あの時の空の色は
何と呼べばよいだろう。
それは寒い師走の朝だった。
くも膜下出血で倒れた主人は、意識を失うまでしっかりとしていた。
頭からは大粒の真珠のような汗が噴き出し、酷い頭痛に襲われていたはずなのに、
「sanngo、タオル持って来て、汗が酷いから」
救急隊員に担架布に乗せられて玄関を出て行く時まで私にそう指示するほどだった。
あぁ、あの布の黄色がかったオレンジ色も、まだ鮮明にこの目の奥に焼き付いている。
「sanngo、sanngo、sanngo」
私の本名を3回呼ぶと救急隊員に運ばれて、ダーちゃんはエレベーターの中に消えて行った。
あれが意識のある主人を見た最期だった。
狭いエレベーターが定員オーバーにならないように、私は下ったエレベーターがまた上って来るのを待っていた。
「早く、早く、早くして」
焦る気持ちとは裏腹に、あの時は通学や通勤の時刻と重なっていた。やっと一階に辿り着くとエレベーターホールの前に、沢山の応援と野次馬が集まっていた。その群れをぬうように救急車に乗り込むと皆に別れを告げるのように挙げていた主人の手がだらりとストレッチャーの横に落ちた。
それから、頭を患った人特有の大きないびきが始まった。
「意識混濁!!」
救急隊員の叫ぶ声が聞こえたが、それでもまだ救急車は発進しなかった。あの日は寒い朝で、脳神経外科の受け入れ先が何処にもなかった事を後から私は知らされた。ダーちゃんの口の端から流れていたよだれを指先で拭い、待っているとやっと救急車がのろのろと走り出した。
「ゆっくり走りますから」
そんな言葉を掛けられたような気がする。車が拾う振動が頭に響かないためかな?
言葉の意味をぼんやりと考えていると、固い救急車の座席に座っていた私の目に碧色の空が飛び込んできた。
ユーミンの「悲しいほどお天気」のタイトルを思い出しのは、この時だ。
悲劇のヒロインになるつもりなど、毛頭考えてはいなかった。主人は助かると信じていたから。
碧色の空にぽっかりと浮かんだ綿菓子のような雲が、私達を乗せた救急車の後を何処までも付いてきた。
あの空の碧さと真っ白な綿菓子のよう雲を私は一生忘れないだろう。
私にとって悲しみの色そのものだったから。
十数年の時を経て、今
悲しみ色だった私の碧色は、哀色に変わった。
いつか、きっとこの哀色が愛色に変わる事を信じて生きていこうと思う。
まだ哀色継続中
晴れときどき曇り
ときどき、土砂降り
愛色には届いていない。
空の青さが移ろいでいくように
悲しみは哀しみに変わり、想い出に姿を変えて私の歴史の一つになりますように
三羽さんの企画に参加させて頂きます。
よろしくお願いします。