「掌編小説」金魚鉢は知っている#シロクマ文芸部
金魚鉢を床に叩きつける。
ガチャンと言う音を立てて粉々に砕け散った様子を見て作業療法士のYは言う。
「はい、上手に出来ましたね。じゃあ、もう一度」
口を半開きにだらしなく開けて、その右端からよだれを光らせている敏子さんにYはまた金魚鉢を渡す。
「じゃあ今度はあの壁に思いきり叩きつけてみて!!」
ガチャンッ!!
2050年
日本は多数の劣悪なサプリメントと遺伝子組み換えによる家畜、野菜の摂取で、大勢の犠牲者を出した。20年後の現在、そのおかげで高齢化社会からは脱したが代わりに原因不明の早期老齢化社会となっていた。
この敏子さんも、30代半ばで既に「認知症」を発症していた。
「Y主任、この金魚鉢訓練は何を目的としている治療法なんですか?」
新人の作業療法士Sが、ノートを取りながら真剣にYに訊ねた。
「破壊かな?」
「破壊?でも破片が飛び散って危険ですけど…」
「じゃあ、痛みも習得出来きちゃうか。それはまずいな」
「まずいですよ、主任」
「うむ、痛みを覚えるのはまずいから、次回からは防護服を着用させるか」
「そうですね、それがいいと思います、主任」
新人作業療法士のSは「我が意を得たり」の感情を隠そうともせずに自信満々に微笑んだ。
金魚鉢訓練は、このリハビリセンターのオーナー会社の売れ残り商品を使用している。2023年頃に始まったSDGSの精神は2070年の現在も受け継がれていた。
「敏子さん、今度はGOの掛け声でもっと勢いよく壁に叩きつけてみてね」
Y主任は他のスタッフには出さない甘美な声で敏子さんに囁いた。
「GO〜〜!!」
ガチャンッ!!
「敏子さん、上手上手!」
Y主任の後ろに並ぶ研修生達から一斉に拍手が湧き上がった。
「敏子さん、実にいい。素晴らしいリハビリの成果ですよ」
Yが褒め称えても、無表情のまま敏子さんは今日のリハビリが終了する事だけは察したのか、両手をダラリと下げて脱力した。
「敏子さんは、もうすぐ卒業だな。使えるだろう」
Y主任はナースステーションに赴き、
「敏子さん、日本防衛軍移動出来ます」
とケアマネに告げた。
「さすがですね、Y主任」
「まあね」
ナースステーションの受付のカウンターには、天然記念物に指定されそうな勢いで減少し続けている出目金が金魚鉢の中を優雅に泳いでいた。
健康なまま若くして「認知症」を発症した人間は、今も足りない若者の為に兵士として容赦なく「防衛軍」に送り届けられた。なにしろ彼等には意思がない。命令に背くことがないので鉄砲玉のように使い易いと評判だった。ここにはSDGSの考え方は存在しない。あるのは日本の悪しき歴史「神風特攻」の考え方だ。
このセンターでは、一人兵士を防衛軍に送り込むごとに多額なボーナスが支払われた。
Y主任は自分の今月の評価額のグラフを見て満足していた。女房が喜ぶ顔を想像するとYは思わず自分のグラフに向かって叫んでいた。
「GO〜〜!!ウヒヒヒッ、トップまであと二人か…」
ガチャーーーンッ!!
凄まじい音と共に額から大量の血を流しながら、Yが床に倒れ込んだ。その背後で
「上手、上手、上手……」
半開きの口から敏子さんの呂律の回らない言葉が聞こえた。
出目金がリノリウムの床の上をバタバタと転がりまわっている。隣では白目を向いたYがヒクヒクと痙攣を起こし始めた。
了
ああああ、「山ちゃん祭り」のつもりで書き始めたのに、ヤッてしまった(苦笑)
なので途中でイニシャルに変えてみた(笑)
作業療法士Yさん、ごめんなさい(泣)アーメン